『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-18)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<注7>
捨離=ジャーナ;義註では、以下の様に解説する:
”身軽安” は、名身(nāmakāyo)の軽安。
”覚楽” は、身と心所の楽しさを経験する事(kāyikampi cetasikampi sukhaṃ)。
”心の定の獲得” は、出離による楽を得る事を通して得る快楽(=楽しさ)の事(nekkhamma-sukhena sukhitassa)。
(複註では、初禅を含む、と言う(paṭhamajjhānapakkhikattā)。
その心が、近行(upacāravasenapi)と安止(appanāvasenapi)によって、定を得る事を言う。
次に、仏陀は、比丘が如何にして四種類のジャーナを証するかを、段階を追って説明する。
<注8>《中部・調御地経》(Dantabhūmi Sutta)において、仏陀は同様の方法によって、比丘は如何にして五蓋を捨断し、四念処を修習し、その後に、如何にして、第二から第四までの禅定を成就する(+べき)かを、述べている。
初禅を成就していない修行者は、第二禅を成就する事ができないが、それは、当該の比丘が、四念処を育成する時、(+その修習において)すでに初禅の育成をも含む事を意味しているのである。
(《調御地経》で述べられている、比丘の完全な訓練の内容は、最後の尾注において解説する。《大念処経》の義註では、以下のように解説する:
仏陀は、比丘は世間の貪、憂を捨離する事を要求するが、それはすべての四念処の中に含まれる(+所の、要素である)。
世間=五蓋(関連する経文は、尾注において解説する)。
貪=欲貪蓋。
憂=瞋恚蓋。
仏陀はこの二つに言及しながら、(+実は)すべての五蓋を指して言っているのだという事を、知らねばならない。
(3-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>