ジャーナを証得するまで、慈心を修習する時、最も良いのは、禅修行者がすでに、白遍を修行して、第四禅に到達している事である。
例えば、《応作慈愛経》<注122>の中において、仏陀は、500名の比庫を指導したが、これら比庫は、皆十遍と八定に精通しており、かつ、観の修習においては、すでに生滅智(udayabbayañāṇa)に到達していた。
彼らは森林に出向いて、引き続き修行をしようとしたが、しかし、森林に住む天人が、生活を邪魔された事から彼らを威喝した為、彼らは仏陀に会いに戻るしかなかった。
そこで、仏陀は彼らに《応作慈愛経》を、禅修行の業処として、かつ、護衛経(paritta)として念誦する様に教えた。
禅修の業処としては、すでに慈心ジャーナ
(mettā-jhāna)を成就しており、かつ、異なる種類の人間の間の限界を突破した禅修行者に対して説法したものである。<注123>
《応作慈愛経》は、更に進んで専門的に慈心の修行法を説いたものであって、
”Sukhino vā khemino hontu、sabbe sattā bhavantu sukhitattā”
(一切の有情は、幸せで、安穏であれ!己自ら楽あれ!)
を思惟する事を通して、11種類の衆生に対して慈愛を散布し、第三禅を証得する。
経典では、仏陀は、あの500名の比庫が、(仏陀の)説明した通りに実践できる事を知っていた、と言う。というのも、彼らは十遍に精通していたが故に。
では、なぜ、遍禅に基づけば、慈心禅が容易に成就するのか?