Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》4-4(75/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

五趣

地獄趣(nirayagati)

餓鬼趣(petagati)

畜生趣(tiracchānagati)

人趣(manussagati)

梵・天趣(devogati)

今、我々は五趣が何であるかを、理解できたであろうか?

もし、仏陀がこの世に現れなかったならば、我々とは言わず、祖師大徳の方々でさえも、「五趣」とはなんであるかを知ることは、できなかったのである。

「趣」とは、行く場所、往生する処である。

世間は、地獄、餓鬼、畜生、人、天等の五つの場所がある。

解脱してない人は、死後、業力に従って、五趣の中から、どれか一つの趣に生まれ変わる。

五趣の中の、餓鬼趣は阿修羅を含むが、阿修羅は体積が非常に大きく、彼の瞋恚心は非常に重い。故に、彼は餓鬼より苦痛が大きい。

餓鬼趣(petagati)

北丙法師は、非常に優秀な法師である。

彼は法を善く説く以外に、種々の業処にも詳しく、よくお墓に行って、説法をしたり、座禅・瞑想する。

彼がお墓にいる時、鬼道の衆生は、傍らに来て説法を聞く者、馬鹿騒ぎしに来る者もいるが、ある者は、近くで読経したりする。

北丙法師は、遠くから聞こえて来る読経の声を聞くことができるが、それは、鬼(=幽霊)達が法師と共に、読経しているのである。

彼らは生前、みな、寺院の法師だったのである!

彼の座席の傍に、蟻の巣のような小さな穴がある。

穴は非常に小さいものの、二人の巨大な鬼が出てきて、一人は南に、一人は北へ走って行った。時間が来ると、二人はまた、元の穴に戻ってきた。

衆生とは、なんとまぁ、不思議な事か?

輪廻の中では、色々な生命が存在し、色々な生存形式が存在している。

これらは皆、臨終のときの心の気がかりによって(+生じているの)である。

臨終の時、もし、家族、友人の事を気に掛けると、みな、鬼道の衆生になり、元の場所に居続けて、そこを離れたがらない。

もし、気がかりが無いのであれば、業力に牽引されて、流転する。

この五趣のうち、鬼趣に生まれるのはまだいい方である。というのも、鬼趣から、人趣に転生するのは、難しくないからである。

人が死ぬとき、泣いてはいけない。

もし超度したいのであれば、こう言うのがよい:

「お父さん!お母さん!または誰々さん!

私はあなたの為に供養を修しています。功徳を造(ナ)しています」と。

その後に、功徳を彼に回向してあげれば、彼は、人趣に転じることができる。

これは非常に簡単に出来る。

ただ、重要な事は、供養を受ける者が、清浄なる戒行を具足している必要があることである。

(中略)

(4-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>