<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(2)業生苦
業生苦のうち、身・口・意によって生じる所の不道徳的行為は、薫習された煩悩の結果であり、故にそれらは、煩悩と同じ様に強烈である。
その為、業生苦は、真正に、すべての聖者の懼れる所の「苦」である。
ちょうどコソ泥と強盗がある村に住みつけば、これら村人は怖れ、善き人は、彼らに近づかないのと、同じである。
同様に、人、天人と梵天の生命状態は、聖者によって畏怖される。
聖者の誰一人として、以下の様な観念を持つものはいない:「私自身」「私の身体」。
そして、聖者から見れば、(業生苦)と、共に住みたいとは、思わない。
聖者から言えば、人、天人と梵天は上に述べた、業生苦の生じる場所であるが故に。
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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《vipassanāハンドブック》 (原題 Vipassanā Dipanī)
Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>