《Vipassanāハンドブック》23-4(F)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
一来道(sakadāgāmimagga)に関連する智、すなわち二果は、二果を証した聖者であるが、粗雑な貪欲と瞋恚、怨恨を断じ除く事ができる。
不還道(anāgamimagga)に関連する智、すなわち三果は、三果を証した聖者であるが、微細な貪欲と悪意を、断じ除くことができる。
三果を証得した不還者から言えば、彼と世人の親戚関係は断たれて、梵天界(brahma-loka)だけが、唯一、彼の往生する場所となる。
阿羅漢道(arahatta-magga)に関連する智、すなわち四果は、四果を証した聖者は、すでにすべての煩悩を、断じ除いている。
これらの煩悩は、彼より低い道果において、残留するものである。
この四果を証悟した聖者(すなわち、すべての煩悩を断じ除いた人)は、阿羅漢であり、かつ、すでに三界を、出離している。
仏教において、正断捨離(samucchedapahāna)は、最も重要で、かつ完全な出来事なのである。
今、我々は、幾つかの重点を指摘した。
これらの重点は、観智を修習する人々にとって、必須な事柄である。
三種の観智のなかで、無常随観智は、真っ先に獲得されなければならない。
なぜか?
もし、我々が、映写機によって(+映される)映画を子細に見るならば、我々は以下の事を知ることができる:
多くの美しい映像の変化は、どれほど速いことか。これらの変化は、極めて短い時間のうちに発生する。
我々は見ることができる:
100 枚または、それ以上の多くの影像・写真によって、一つの身体の移動の景色を、映し出す事を。
これらは実際には、異変と変化の作用であり、または無常、または止滅(ママ)の現象の顕現である。
もし、我々がこれらの影像の中の活動、たとえば極めて短い時間内に、身体の各部位における活動、すなわち、歩く、立つ、坐る、寝る、曲げる、伸ばす、などなどを見るならば、これらの活動は変化に満ちており、または無常性に満ちている事が分かるのである。
(23-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)