Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~本雅難陀尊者法話 in 台湾

 既出の通り、私は2月、3月に台湾(嘉義法雨道場&苗栗法華寺)で、本雅難陀尊者のリトリートを受けてきました。

毎日のリトリートの、夜8時からは法話があります。

ある日の本雅難陀尊者の法話

『みなさん・・・なぜ緬甸を含め、世界中に、この様な、間違った仏陀の修行法が蔓延しているのでしょうか?』

『それは、ある種の人々が、経典の一部だけを読んで、早飲み込みをして、己の考えだけで、瞑想法を組み立てるからです。』

『大念処經の「歩く時は歩く事を知り・・・云々」の本来の意味は、歩く時は、己自身の(+鼻の前にある)禅相を知りつつ歩き・・・です。

歩く時は歩く事を知っている・・・のならば、犬でも出来るし、赤ちゃんだって、自分が何を食べているかぐらい、知っているのです。

仏陀の瞑想法は、究極法(=素粒子の刹那生・滅、無常・苦・無我)を照見する為のものです。

歩く時は歩くを知って・・・は如理作意の範囲です・・・一体それで誰がどの様にして、究極法を悟れるというのでしょうか?』

『大念処經の翻訳自体が、間違っているのです(注1)我々は、正しい瞑想法に出会う為には、(パーリ語の)経典を読み、註釈書、複註釈書を調べ、論書(アビダンマ)、清浄道論を研究しなければなりません。のどれか一つでも軽視するならば、あなたは瞑想法を間違ってしまうでしょう。』

仏陀の瞑想法に関して、軽軽に判断しては、取り返しのつかないことになります。』

僭越ながら、仏教書の翻訳を終生の任務であると心得ている私にとって、耳の痛い話でした。

「仏教書は意訳してはならない」という、古のチベットの国王(サンスクリットの仏教書をチベット語に翻訳する様命令した)の厳命が、身に滲みます。

<注1>尊者からは、なぜ「大念処經」の翻訳に間違いがあるのか、の説明はありませんでした。興味のある方は、尊者の話を参考に、ご自分で研究されてみて下さい。また、経典に書かれてある事は、仏陀の教えの外皮、概要であり、究極の悟りの為の修習を実践する為には、アビダンマを理解しなければならならない、と尊者は述べておられました。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>