Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~終活

就職活動を略して<就活>。そのデンで、婚活、終活などの言葉も、すっかり定着したようです。

今朝、WEBを見ていましたら、中尾彬夫妻の終活の話が、載っていました。

趣味のアトリエは片付けて、別途、お墓を買ったそうです(お墓のデザインは中尾氏)。

この記事に、庶民がコメントを載せているのですが・・・「やっぱ、終活なんて、中尾さんみたいに、お金がないとできないよね」

やっぱ、金ですか、どこまでいっても、金ですか・・・。

私なら死後、直葬して、散骨して、そのために、息子に50万円ほど残しておけばいいかな、と思っています(実際には、私は、献体登録をしているので、大学での実習解剖とその後の火葬、大学側主催の、無宗教による葬儀となりますが)。

難しいのは、死ぬ時に、ちょうど50万円ほどだけ、残っているという状況を作ることですね。

明日死ぬのか、それとも、後2、3年もつのか?

そして、その2、3年の間に、旅行でもしたいというのなら、その時点で残金が50万円、というのは困ります。

昔の僧侶はどういう風に死んでいったのでしょうかね。 種田山頭火なんか、たいしたお金も持たずに放浪したみたいですし、放哉さんも、どうでしたかね。

あと半年だな、と分かった時点で、200万円ほど持って旅に出て、50万円ほど残った所で、パッタリ。息子が引き取りに来て、大学の医学部に献体

う~~む、シナリオは完璧なんだけど(笑)。

是誰庵のひとやすみ~祈り

ある日の夜、ベッドの中で、このような事がありました。

私の住む町には温泉施設があり、水中運動ができます。

水中運動一回行く毎にポイントが付き、それを一万点ためて市役所に提出すると、抽選で一万円が当たります。

年会費が1.6万円なので、一万円が戻るのは、結構嬉しいです。

それでベッドに入って寝ようとしていると「ああ、年度末、そろそろ市役所で抽選が始まったかも」「あたるといいな」と思いました。

そしてフト身体を見る(観る)と、身体が固く硬直しているのです。心が欲の皮で突っ張ると、身体も突っ張るんですね、心身相関とはよく言ったものです。

身体が硬直しているのは良くないですね。

血流がとどこおって、どこかに異変が生じます。私はすぐに「一万円は、賞金を受け取るのに相応しい人に、届けられますように」とお祈りしました。一万円当たるのは私でも、他人でも、誰でもいい、と思ったのです。

そうすると、身体の緊張がフワっと解けて、すぐに眠りにつきました。

人を呪わば穴二つ。私は他人を呪った訳ではありませんが、他人を押しのけて、一番おいしいところを取ろうとしたので、まぁ、似たようなものなのでしょう。

<皆が幸せであるように>という祈りは、結局は自分にも幸せを齎すのだなぁ、と実感した夜でした。

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-15

単一の目標(所縁)とは何か?

単一の目標(所縁)とは、単純な、何か一つのモノという事では決してなく、異なる風貌をした、単一の主題、という事がいえる。

定を修する時に(+あなたが)専注している目標は、ただ単に物質的な目標だけではなく、更に多くの場合、それは心から変じ顕現した、抽象的な目標でありえる、という事である。

たとえ物質的な目標であっても、それは、一秒ごとに変化しており、ただ、その変化が非常に微細な為に、容易に察知できないでいるだけである。

定を修習する初めの段階において、通常、我々は呼吸という、物質的な目標を起点として、自己の啓発・育成を行うが、しかし、我々は、この目標は、始めから終わりまで、永遠に不変であることはないことを知っている。

実際、我々は、この目標を、一種の主題と見做す必要がある。

たとえば:我々が呼吸を定の修習の目標とする時、我々は、呼吸を一種の、生命を滋養するエネルギーとして体験する必要がある。

あなたがこのように呼吸を大切にすることが出来た時、あなたは初めて、呼吸を味わい、呼吸を楽しむことができるのである。

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。(1-16につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-14

ここでは、「心を平等にして専注する」という言葉を、決して、全く変化のない修行目標を死守するのだ、と言う風に、誤解してはならない。

この言葉は、心と、修行の目標の間にある、活発な相互交流を指している事を、理解しなければならない。

この種の相互交流は、種々の方式で進めることができる。それが平和的で、趣があり、創意に富んだものであれば、それでよい。

どうしてこのような交流を「平等に」と言うのか?

というのも、この種の交流には、「平和」という特質があり、故に「平等」であるから、である。

絶対に、「心をして正確に専注せしめる」ことを、一つだけの事柄に絞る(すなわち、あなたの目標に専注する事)事だけが正しいのだと、誤解してはならない。

実際は、あなたが行う事柄が、あなたの単一の主題を取り巻いているのなら、それは正解である。たとえば、上述(No1-13)のピアニストのように、ピアノを弾いている過程の中において、彼は予備定の心境の内にいる。

この時、彼の耳、手、足、身体は、皆同時に、異なる事柄を処理しているが、しかし、これらの事柄は、皆、彼の単一の主題ーー楽曲を演奏する事ーーを取り巻いているのであり、(+このようにする時)彼は一種の、非常に良好な、定の心境の内にいるのである。

同様に、あなたが定を修習する時、もし、あなたの一切の心身の活動が、定の修習という主題を取り巻いているものであり、この主題の軌道に従って前進するのであれば、あなたは、心と心所というこの(+修習に)関して、「正確に」(+心と心所を)据え置いておくこと、保持することを成し遂げていることになる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-15につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

是誰庵のひとやすみ~君子危うきに近寄らず

先日、日課の水中運動に行って、ジャグジーで寛いでいた時の、話。

近所のおばさん「あなた、のんびり気持ちよさそうに

ジャグジーに入ってらして・・・。あなた、実家は裕福なおうちで、幸せに育ったんでしょうね」

私「いえ、いえ。そんなことはありませんよ」

「(祖母と両親は、当時、日本の植民地だった台湾からの移民で)いい時もあれば、悪いときもあって、一家で夜逃げしたこともありますよ」

おばさん「そんなご冗談を。あなたは絶対、いいところの御嬢さんでしょ」

私「・・・」(な、なんという誤解!)

台湾からの移民だった父は、日本語ができない事もあって、商売がうまくいったり、いかなかったり。

私が高校二年の時、とうとう倒産して経済状態が最悪になり、私は高校を卒業すると、上京して、お勤めをしながらお金を貯めて、自力で大学(夜間)に進学したのですけどね。

もし、私が、彼女の言うように、割とおだやかな表情をしているのだとしたら、それは仏陀釈尊)のおかげでしょう。

仏陀は言いました。

世界中の道路に棘が生えているとして、その道を全部、皮革で覆う事は出来ない。あなたが棘で傷つきたくないと言うのなら、あなたが革靴を履けばいいのです、と。

そう、外界に生じる、嫌なこと、悲しい事は、これまでも、決してなくなることはなかったし、これからも、決してなくなることはない。

けれども、己自身の六根(目、耳、鼻、舌、身体、意)の門を守ること、これならできます。

道具もいらないし、お金もいりません。ただひたすら、己の心をよく観察して、心が外界に漂い出るのをコントロールする、それだけです。

己を大事に思う人は、危うきに近寄らず、です。

「六根の門を守れ」と教えた仏陀の技を、生涯かけて磨けば、いつか君子になることができますよ。

 

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-32

精進の作用は、これらの相応する名法を安定させることである。

精進は、それらが、己自身の任務を遂行し、また、(+安般念などが)中断してしまわないようにし、それと相応する、心とその他の心所を強化し、また支援する。

たとえば、もし、ある人が止禅(たとえば、安般念)を通して、煩悩を鎮伏しおうと思い、かつ、それをどのように育成すればよいのかを知っているとする。この事は、止禅に関する精進と気力・根気の縁と関係がある。

もし、ある人の目標が、如実に究極法を知ることであるならば、観禅を育成するための精進の縁と関係がある。この種の精進は、相応する心と同時に生起する;当該の心は、正念をもって、究極名法または色法を知る(+ことができる)。

正精進は、その因と縁によって生起し、精進に尽力している私、は存在しない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-33につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-31

ちょうど、老朽化した家屋が、新しい柱で補強されて、直立して倒れなくなるように、同様に、精進によって強化されると、発心した禅修行者は、撤退しないし、または道徳的な腐敗もしない。

補強・強化という特徴は、このように理解されるべきである。

戦場にある時、小さな軍隊は、撃退される可能性がある。しかし、国王の派遣する強力な、後方部隊の支援の下であれば、彼らは敵を撃破することができる。

このように、精進は、その相応する名法が委縮したり、撤退したりしないようにすることができる;それは、それらを向上させ、支援する。

このように精進には、支持、支援という特徴がある。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-32につづく)

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>