Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義~20>痛みはあるけど・・・

先日、インターネットで、タイのカンポンさん(「苦しまなくていいんだよ」の著者)の記事を読んでいたら、こんな言葉がありました「苦しみはあるけど、苦しむ人はいない」。私、これ、今、微妙に分かります(笑)。

瞑想している時、または普通の意識の時でもいいのですが、足とか手とか、訳もなくチリチリッと痛くなる時があります(神経痛的な、軽く針で刺すようなちょっとした痛み)。

その時、その痛みをジッと観ている、サティする。「痛み」「痛み」と実況放送もしないで、ただ観ている。そうすると、いつの間にか痛みは消えていて、かつ、痛みをサティしていた間、誰が痛いのか?という問題意識、即ち「私が痛い」という意識が出てこない。

まさしく「痛みはあるけど、痛い人はいない」のです。

この事は、チリチリっとした軽めの痛み、重病の予兆でないのが明白な時、体験しやすいです。例えば、腹痛~お腹の鈍痛の場合、痛みが長引くのと、胃腸薬飲んだ方がいいかも??というあらぬ心配、恐れの心が生まれるので、「お腹痛いけれど、痛い人はいない」という観察は、(私の場合)なかなか成功しない。

これからもチリチリッとした軽めの痛みを教材にして「痛みはあるけど、痛い人はいない」(=無我)の体験を積み重ねていきたいと思っています。