Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アーチャン・チャー一日一話~39,40,41,42>「おたま」&「葉っぱ」&「雨漏り」&「手紙」

 

 タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 46,47にこんな事が書いてあります(短編四話)。

#39-150624

「おたま」

仏陀のダンマを聞くだけで、実践しようとしない人は、スープの鍋の中のおたまのようだ。毎日スープの中に浸かっているのに、スープの味を知らない。あなたは思惟し、かつ座禅・瞑想しなければならない。(「森林里的一棵樹」より)

#40-150624

「葉っぱ」

今我々は、静かな森の中に座っています。もし風が吹かなければ、木々の葉は、静かなまま動きません。しかし、一旦風が吹き始めると、木々の葉っぱたちは、ワサワサと揺れて踊ります。

心もまた、あの木々の葉と同じように、法塵と接触すると、法塵の性質に合わせて、ワサワサと“揺れて舞い踊り”始めます。我々の仏法への理解が少ない程、心はより絶え間なく法塵を追い求めます。楽しさを感じている時、楽しさに屈服します。苦痛を感じている時、苦痛に屈服します。心はこうして、いつも混乱の中にいるのです。(「森林里的一棵樹」より)

#41-150624

「雨漏り」

我々ほとんどの人は、ただ修行について語り合うだけで、まったくもって、実践などしようとはしない。我々の修行とは、屋根の一部が雨漏りしている家に住む人のよう。雨漏りすると、その人は雨漏りする場所を避けて眠りにつく。雨が止んで太陽がでると、日の当たる方へ転がっていって寝る。そして、恨みがましく愚痴るのである“いったいいつになったら、ほかの人と同じような、立派な家が持てるのだろうか”と。一たび、屋根全体が壊れたら、すぐにこの家から引っ越して行く。これは問題を正しく解決す態度ではないが、ほとんどの人がこのように暮らしている。(「森林里的一棵樹」より)

#42-150624

「手紙」

あなたの心に何事かが生じたなら、それを知っているだけでよい。それらの為に、嬉しがったり、悲しがったりする必要なない。執着してはいけない!もしあなたに苦痛が生まれたら、それを観て、それを知って、空っぽでありなさい。まるで一通の手紙のように――あなたが手紙の内容を詳しく読もうとする前に、まずはその封を開けるように。(「森林里的一棵樹」より)

 

ブログ主:ダンマトークを聞いてもピンとこない人(スープの鍋の中のおたまのような人)はいますよね。かといって、聞いたらすぐ「はい分かりました。100%OKです」なんていう人もちょっと・・・(笑)。仏法は理解も難しく、ましてや実践となると・・・。

宗教的な事件を起こすくらいなら、慎重なくらいがいいのでしょうが、あまりに慎重なのも・・・理解できた所、納得した所から、まずは実践してみる。

四念処の基礎になるアーナ・パーナ・サティは一人でできて、誰にも迷惑をかけない修行方法だと思いますので、お勧めです(但し自己流ではなく、先生についてください)。

                   (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)