ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー4
縁起を正しく理解する事は非常に重要である。それは我々に、
「私」という観念が、色々な異なった因と縁の条件によって
生滅しているだけである事を認識させ、我々をして「永遠に
存在する不滅の私がある」という謬見から抜け出させること
ができる。
元々「私」という存在はなく、ただ「私」という<思い>が、
「無明(無知)」に蔽われた心に相続して生起し、無明の心
は、これら相続して絶える事がない(思いの)生起によって
(真実を)眩まされて、「永遠に存在する不滅の私」という
幻の相の中に沈殿し、迷っているのである。
そして、ブッダダーサ尊者が指摘するように、ゴータマ仏陀が
縁起を教えたのは、我々に、この種の幻想を看破させるため
であった。
三世を貫通する縁起説は、一つの世から次の世に継承されていく
何らかの存在を暗示している。それでは、仏陀の教えと正反対に
なってしまう。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語)
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)