彼は一生涯「自然」を尊重した。
彼は大自然の中で「如是」の見解を学び、また彼の自己の
生命観の上にも反映させた。
例えば、晩年に病気をした時、彼は「病とは所詮かくの如く
であり、因と縁の必然性によって生じるものであり・・・
痛みは只の感覚であり、是非ともそれを禅修行の対象と
しなければならない。苦、病及び死に深く分け入って
研究しなければならない」と考えた。
彼は心の内の智慧でもって、痛みの感覚を克服し、
病気はただの「自然」現象で、<本来如是>に過ぎない
という事を深く了解した。
このように、大自然は彼の心霊が感受を受ける
まったき源泉であり、自然界の規律は彼自身の生活の規律に
なり、どのような情景も、彼の修法の対象になった。
現代人である我々は、誰もが森林の中で修行する、
という福報を持ち合わせている訳ではないが、
大自然の中で修行することができなくても、
我々はブッダダーサ尊者の教えた法門の真意を
思惟する必要がある。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語)
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)