ブッダダーサ著「生活の中の縁起」翻訳文ー2
ブッダダーサ尊者は、正しい解脱を求めるのならば、
大自然に向かって学習しなければならないと、考えている。
若い頃、森林の中で修行していた時、動物たちの夜の
行動を観察して、「法」は、世俗のように夜になると
入睡するのではなくて、真実の修行をする人は、彼の
身体は入睡しても心霊(訳者注1)は永遠に目覚めていて、
随時、万物の実相を観察する準備をしているのだと、彼は
思った。大自然において一人ぼっちで、誰にも頼れ
ない時、彼は「私が何かの状況について怖れるならば、
私はその状況の中に留まろう、恐怖が去るまで」と
いう方法で、自我の訓練をした。
「(それを)直視できるようになるまで」心して聞き、
心して見る。
そのことによって、仏法を<体験>する事ができる
(訳者注2)ーー本来かくの如し、と。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ翻訳~タイ語→中国語)
(「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)
(訳者注1)上記 心霊 は、原文のママ直訳であるが、漢和
辞書には心、精神、霊魂、知恵、とある。私は<it>と訳した
かったけれど、ブッダダーサの真意とずれてはいけないので、
直訳とした。
(訳者注2)仏法とは体験である。哲学でも理論優先でもない。
体験すれば言論は止む。