有為法、無為法は共に「無我」である~
前の章において、私がすでに述べたとおり、
存在する事物はすべて二種類ーー有為法と
無為法に分類することができる。
私は、この両者をさらに進んで理解したい
と思う読者各位に、それらは非「自我」
であり、また(+それらの内に)「自我」
もなく、それらはすべて抽象的な事物で
あり、両者の唯一の違いは、有為法は
虚妄・幻であり、無為法は虚妄でもなく、
幻でもないこと、そして、両者ともに
自然に存在する事物であることを、
謹んで、お知らせする。
私がこのことを指摘するのは、人々の心の
中から、すべての意念を取り除くことを
通して、これらの事物に対する執着を無くし、
それらを「自我」とみなすことをやめて
欲しいと願うからである。
心霊が執着する有為法は、色身、心霊自体、
個人がなした功徳、犯した罪悪、財産、
名誉、威光と人望、煩悩と欲望、愛恋、
憤怒、利己的であることによる煩悩、
および執着によって生じた生老病死などの
世事の生滅である:
最後に、執着も含まれるが、執着は間違った
観念を生じさせ、かつそれを堅持する誘因
となる。
執着は、輪廻と生まれ変わりの原因と
なるが、それは、衆生の心の中に深く
根を張り、常に衆生の心の中に出現する。
無為法は、心霊が解脱するか、または
すでに有為法を超越したときに、到達する
状態である。
この不執着の状態(涅槃)を発見する時、
心霊はそれを「自我」とみなして手放さない
ということが生じるが、これは習気の故
である。(+ )(= )訳者。(つづく)
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訳者コメント:「ブッダダーサ尊者は
輪廻を認めない」という人がいますが、
それは誤解です。彼は輪廻を理由に、
日々の、<今・ここ>での修行を
先延ばしにいる人々を批判している
だけです。彼は、上の章で、輪廻を
認めています。
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>