南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー73

「行世間」(saṅkhāra)を解説するに、覚音は、仏陀

知っているのは、名色、三受、四食、五取蘊、六入、七識住、

八世間法、十処、12処、18界だと言い、四聖諦ーー世間に

関する円満なる解釈ーーには触れていない。

以上の事から、私は、覚音の仏陀に対する「世間解」の解釈の

大部分は、バラモン教に依っており、仏教に関する解説部分は

非常にバラバラで、仏陀が何度も宣揚した世間に関する四つの

意義:「世間、世間の初因、世間の滅尽、および世間の滅尽に

到達するための修行の道は、すべて『心』『思い』とに結合した、

イキイキと生きている、この六尺の身体の中にある」という

教えから離れている、と考える。

「世間」(四聖諦)は、仏教の核心であるが、覚音は、

自分の(好む)方式で解説しており、私は、彼の解釈は仏教で

はない、と思っている。

実際、縁起とは、結局、世間、世間の初因、世間の滅尽、

よび世間の滅尽に到達するための、修行の道を説明している

もので、それらは、イキイキと生きている、六尺の身体の中に

存在しているものである。

言い換えれば、縁起の流転または還滅には、絶対に「主体」

「人」「我(私)」「衆生」というものは、存在しないのである。

四遍浄戒~~

そのほかに、(彼によって)混乱が生じて、人々を困惑させている

事柄として、四遍浄戒について述べてみる。

覚音の《清浄音論》以外に、この種の、四つの戒は、どのような本

にも書かれていない。彼は「根律儀」を一種の戒とみなしたが、

これを戒とみなすならば、学生・修行者にとって、学び、実践する

ことが難しくなる。また彼は、「活命遍浄」も、一種の戒であると

みなしたが、これもまた、別の問題引き起こした。

次に「資具依止」ーー衣服、食物、寝具・ベッド、医薬も、

一種の戒でるとしたため、これらの解釈は、かえって、

戒の意義を曖昧模糊とさせてしまい、学習者にとって、

戒を守る基準を理解するのが、難しくなってしまった。

パーリ経典の中には、これらの戒律を明確に定めた文言は見えず、

ただ覚音の《清浄道論》にのみ、出てくる。

二種類の涅槃~~

他には、例えば<二種類の涅槃>がある。彼は「無余依涅槃」を

阿羅漢の、已に生じている諸蘊の滅尽であると解釈し、いまだ

生命のある阿羅漢については、「有余依涅槃」とし、

《清浄道論》において、この事を非常に強調したが、しかし、

パーリ三蔵の経文、例えば、《小部》如是語などとは、一致しない。

覚音の各種の解釈の中で、私が同意できないものは、多い。

れらの事柄について、100パーセント同意しないものもあれば、

自分自身が未だ十分に理解しえていないので、彼の解釈を

受け入れられないでいる部分もある。私が覚音についてあれこれ

言うので、彼の事を、絶対に阿羅漢であると信じている人々に

叱られそうであるが、それでも、私たちは「この問題をじ

っくり考えようではないか!私の言う事を信じなくても

いいけれど」と友人に伝えたい。(つづく)

訳者コメント:四遍浄戒とは、別解脱律儀戒、根律儀戒、活命

遍浄戒、資具依止戒の事。<二種類の涅槃>に関するコメントは、

No74にて、解説します。

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)