<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
卉晒村(Baan Huay Sai)は、旧シャム莫拉限府坎差伊県(Kham Cha-ee district)の小さな普泰の農村で、メコン河沖積平原の端、盤山山脈の南部が伸びた先の、起伏のある高地にあり、その両脇には、卉邦晒河(Huay Bang Sai river)と卉邦伊河(Huay Bang Ee river)が流れている。
初期のころ、卉晒村は開墾地域で、密集した原始の密林の中にあり、簡素な高床式家屋が、天を突く巨木がつくる緑陰の下に、ぽつぽつと建っていたに過ぎない。
ここの民衆の様子は、精悍不羈で、生活は簡単で素朴、自給的農耕と狩猟によって生計を立てた。各自一戸ごとに、村落の周縁にある肥沃な土地を整地して、きれいになった土地に稲を植えた。
耕作地を過ぎると、虎や野生の象が出没する濃密な森林で、住民は、この深くて広い森林が、危険と恐怖を隠し持っていると深く信じていた。そのため、ほとんどの活動は村落の内側で行い、越境することはなかった。
メコン河河畔の、非常に肥沃な土地に落ち着いたばかりの時、莫拉限は小さな国家であったが、後にシャム・チャクリ王朝の属国となり、部分的な自治権を擁した。
伝説によると、昔、三人の王室の姉妹ーーケーウ王女、ケロン王女、ケー王女ーーがいて、卉晒村で生活していた。
彼女たちの性格は、母系の血縁によって受け継がれ、普泰人の民族的性格の中に深々と刻印されることとなった。
この一族の身体には、彼女たちの血が流れており、彼女たちの鮮明な個性が浮かび上がる、すなわち:鋭敏な才智、堅固な意志及び公正な品格である。
誇りに値するこの規範を受け継ぎ、独立的な性格を有する普泰人は、伝統、風俗と言語を通して、族人を纏め、その結果、神聖なる伝承は、世代に受け継がれ、綿々と絶える事がなかった。
(3-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājem>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>