Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウの下あごが垂れ、頬は凹み、皮膚は青白くなって、皺だらけになった。

身体は、ベッドに横になったまま、身体の一切が、老いと病という二つの明確な象徴を顕し、大声でそれを、知らせているようであった。

彼女の身体における、生命を繋ぎとめる機能は、ますます壊れて行き、弱くなり、減衰していき、生命的エネルギーは、時と共に、消費し尽くされて行くようであった。

彼女の心身は、今では、過去の業力がそのコントロールを放棄して、それらを崩壊させるのを待っているだけのようであった。

そのような状態の中で、この心身において、空である所の、壊滅することのない清浄なる本性は、一切に浸透して、それが無い所はない、という状況であった。

アチャン・マハブーワは、重病の我が弟子を見舞う為に道場に来て、看護師たちに、彼女の病状への対応は、因縁に従うように、と忠告した。

彼は、メーチ・ケーウはこれまで、衆生の為に生きて来たが、今は、彼女を静かにこの世から離れさせる時であり、あなた方は、この阿羅漢尼の、最後の逝去に、干渉してはならない、と言った。

その時、彼女の肺は、体液と膿と痰が溜まり、ほとんど呼吸する事ができなかった。

彼女の衰弱した身体は、ピクリとも動かずに、硬くなって横たわっていたが、唇は垂れ下がり、目は半開きであった。

彼女の看護師は、生命の痕跡を検査して、呼吸音が聞こえない、と言った。

明らかに、その時が来たのである。

皆は目をそらさずに、彼女を見ていた。

彼女の呼吸は、益々浅くなり、徐々に細くなって、完全に停止した。

それが停止する時、非常に微細で、非常に静かで、メーチ・ケーウの逝去の確実な時間を、誰も知る事ができなかった。

彼女の色身は、静かに横たわり、何等の異常も見えなかった。

メーチ・ケーウは、1991年6月18日早朝、円寂した。

彼女の自性は、小川の水のように自由に流れ、河川に混じり、海に向かい、最後には、永恒で、寂静で、果てしのない大海ーー空ーーの中に、徹底的に、溶け込んで行った。

6月22日の夕方、アチャン・マハブーワは、当代の最も重要な阿羅漢尼ーーメーチ・ケーウーーに表敬するためにやって来た、僧侶と在家の人々に対して、以下の様に、仏法を開示した:

“死を通して、メーチ・ケーウは我々をして、この世間の本質に注意を向ける様、促した:

一つの例外もなく、我々の一人ひとりは、遅かれ早かれ、必ず死ぬ。

人として生まれたからには、我々は、この吉祥なる生命を、よりよく利用しなければならない。というのも、この生命は、我々が、内心の円満なる証悟を追求するには、最も佳い因縁なのであるから。

我々は、仏世尊の教えを懐疑する理由がなく、四聖諦は、すでに仏法の真実性を証明した。

我々は、誠心誠意、仏法に従って修行するならば、必ずや、円満なる成就に向かうことのできる道果を、育成することができる。

”しっかりと仏法を修習する人がいれば、この世界には、必ず阿羅漢が存在する。

メーチ・ケーウは、その生き証人であり、彼女は殊勝な功徳を擁した阿羅漢尼であった。我々がいつかは死ぬのと同じように、彼女も世を去った。

しかし、真正なる意義は、彼女の心内の深い所にあった修習の功徳ーー彼女の本性ーーであり、彼女の死では、決して、ない。

心は根本であり、心が我々の一切の善悪の行為を主宰しており、故に、いまだ機会がある内、我々の責任は、この一粒の心を、清浄になすよう、尽力することである。”

(6-13につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>