<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
次にまた、言った:
「父王!
子細に考えてみて下さい。
後宮のあの華麗な方たち、彼女たちの身分の高貴さ、毎日の衣・住と着る物の華麗さ、住まいの立派さ、すべて人より高級です。
しかし、この事は、ウクナの言う定命論でしょうか?
彼らは一生、このように幸福でいられるものでしょうか?
父王!どうかよくお考え下さい!
これらの業の果報は、彼らが彼らの過去世における善業が熟した為であって、その事によって、初めて、このようにあるのです。」
国王は、ウクナの邪見を捨てる事無く、ルサーが必死に説いた、14 の生の、因果業報の関係を信じなかった。
また国王は、王女のこれらの話を、このように思ったのである:
「私の娘ルサーは、なんとおしゃべりが上手なんだろう!」
彼は、ルサーの物語を笑顔で聞きながら、これらの物語は、ルサーが、彼が、彼の知見を捨て去るようにと、独り考え出した、架空の物語だと思ったのである。
国王は、ウクナの邪見を放棄する気になれなかった。
というのも、この定命論は、前世、未来世がなく、因果応報がないが為に、己の好きな事を好きなだけやれたからである。
ルサー王女の祈祷
ルサーは、自分が父王の邪見を捨てさせる事ができないのを知ったが、しかし、彼女は、諦める事はなかった。
彼女は非常に敬虔に、合掌して祈祷した:
Etassa guṇe asati mama guṇena
mama silena
Mama saccena idha āgantv ā
imaṃ micch ādassnaṃ
Visajj āpetv ā sakalassalokassa sotthiṃ karontu(原文ママ)
(2-31につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>