南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~感情と智慧

先日、IT のニュースを読んでいましたら「感情と思考(考察)」という文章がありました。

心理学の先生が書かれたものだと思いますが、仏法の修行とも少し似ています。

感情について、福岡ダンマセンターの勉強会でお話しきれなかった部分を、補足してみます。

私たち凡夫には感情があります。

楽しい事を思い出して、一人でにんまりしているのはまぁ、問題ないのですが、怒りや悲しみが大きい時、自分の器の小ささや卑屈さに、嫌気がさす時があります。

その時に「仏教徒は怒ってはいけないのだ」と自分に号令を掛けて、抑え込んでしまうのは、良い事ではありません。自分の心に怒りや悲しみが沸き起こった時、その感情をじっくり味わってみて下さい。それが<いい>とか<悪い>とかのジャッジを介入しないように、ただ湧き上がって、やがて消えていく感情を受け入れて、味わいます。

すると感情は、ほどなく消滅します。

これが心のエネルギーの働き、性質で、すなわち、生・住・滅であり、それは刹那的で無常なのです。ジャッジを介入せずに観察していれば、感情は刹那に生・滅する無常のエネルギーであり、無常のエネルギーには、実体がない事が分かります。実体がないものは、他者に影響を与える事ができません。

これが「手放せば(ジャッジしなければ)解放される」ことの本当の意味で、仏陀智慧でもあります。

仏教徒は怒ってはならない」とばかりに、教条的に己を抑制しても、その感情は地下に潜るだけで、いつかまた別の形で噴火します。己に湧き上がる感情をジャッジして、意味を持たせると、怒りや悲しみが実体性を帯びて来てしまい、圧倒されてしまいます。

それよりも

<今・ここ>の怒りを、

<今・ここ>の刹那の観察を通して、

<今・ここ>で昇華してしまう。

その様に何度も繰り返し努力・修習すれば、あなたはいつの日にか、笑顔のすてきな優婆塞・優婆夷になれる事、ゴータマ仏陀が請け合います。

追伸:上記の心理学の先生の主張は、<怒りを押さえない方がよい>という所までは仏法と同じですが、その後に、<怒りの齎す弊害をよく反省して理知的に処理する事>というものでした。

これは、一たび怒ったならば、怒りの収まりどころを知らないで、一日中怒っている人にはよい処方箋ですが、本質的な解決にはなりません。

上記の先生は、<怒ると自分が損をする>という《思考》、気づきへ導こうとしているのですが、他人の言動によって引き起された怒りは、己自身を傷つけることができない事を観察する方が、本質的な解決に向かいます(己の心の癖ーーー<業>を治す訳です)。

このことは、凡夫は結果をみて、その結果を何とかしようとするが、聖者は因(心の癖)を治そうとする、という風に表現されます。

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>