以前『復讐するは我にあり』という題名の映画がありました。
大分前の事で、映画の筋や、内容を忘れてしまいましたが、確か、詐欺や殺人を重ねたクリスチャンの人間(家族がクリスチャンという設定だったかも)を描写したものでした。
私はクリスチャンではないので、映画の題名と、犯罪者が犯す犯罪の内容とが、どのように関連するのか、感情移入ができなかった為か、今少し映画の意味・意義を、理解できませんでした。
と、前置きはこのくらいで・・・
今朝のインターネット・ニュースに、長年詐欺を働いて妻子を養っていた人が、詐欺から足を洗おうとした時、時すでに遅しで、妻と子が、夫であり父であるこの人の詐欺の手法を覚えて、「お父さんがやらないなら私たちがやる」とばかりに、親子二代にわたる<詐欺師一家>が生まれた話が載っていました(父親による独白取材)。
一度詐欺で大金を稼ぐ方法を覚えると、まじめに額に汗して働く事が馬鹿馬鹿しくなってしまいますよね。奥さんもお子さんも<濡れ手に粟>の快感に染まってしまったのですね。
と、前置きはこれくらいで・・・(笑)。
詐欺というのは、己を汚すだけではなく、周囲の人々を汚し、己の一番大事な人まで汚してしまうのだという事が、このニュースで分かります。
「復讐するは我にあり」の<我>は、キリスト教では「神」を意味するらしいのですが、仏教徒ならどうでしょうか?
<我>とは「己の積みし悪業」になりますでしょうか?
仏教は<神>を立てず、<自業自得>を言います・・・そして、親の悪業は子にも伝わっていくという事。
復讐するは<業>にあり。
心して。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>