南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~復讐するは我にあり

以前『復讐するは我にあり』という題名の映画がありました。

大分前の事で、映画の筋や、内容を忘れてしまいましたが、確か、詐欺や殺人を重ねたクリスチャンの人間(家族がクリスチャンという設定だったかも)を描写したものでした。

私はクリスチャンではないので、映画の題名と、犯罪者が犯す犯罪の内容とが、どのように関連するのか、感情移入ができなかった為か、今少し映画の意味・意義を、理解できませんでした。

と、前置きはこのくらいで・・・

今朝のインターネット・ニュースに、長年詐欺を働いて妻子を養っていた人が、詐欺から足を洗おうとした時、時すでに遅しで、妻と子が、夫であり父であるこの人の詐欺の手法を覚えて、「お父さんがやらないなら私たちがやる」とばかりに、親子二代にわたる<詐欺師一家>が生まれた話が載っていました(父親による独白取材)。

一度詐欺で大金を稼ぐ方法を覚えると、まじめに額に汗して働く事が馬鹿馬鹿しくなってしまいますよね。奥さんもお子さんも<濡れ手に粟>の快感に染まってしまったのですね。

と、前置きはこれくらいで・・・(笑)。

詐欺というのは、己を汚すだけではなく、周囲の人々を汚し、己の一番大事な人まで汚してしまうのだという事が、このニュースで分かります。

復讐するは我にあり」の<我>は、キリスト教では「神」を意味するらしいのですが、仏教徒ならどうでしょうか?

<我>とは「己の積みし悪業」になりますでしょうか?

仏教は<神>を立てず、<自業自得>を言います・・・そして、親の悪業は子にも伝わっていくという事。

復讐するは<業>にあり。

心して。

   <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>