Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳~安般念入門―11(本雅難陀尊者シリーズ1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

2.4 初心者の遭遇する問題

2.4.1 禅の修習において何故専注しえないのか?

Why Can't Beginners Concentrate Easily During Meditationg?

修行を始めたばかりの禅修行者は、余りに多くの事柄を考えるので、(+業処に)専注することができない。

これは、我々が住む世界は、心が多く外部に向かい、欲望が多く、色々計画を立てるのを好むからである。

故に、一たび目を閉じて座禅・瞑想するや否や、心は不断に、過去と未来を思うことになる。

禅修行者が、禅の修行において、入禅に成功したいと思うならば、まずは非常に努力しなければならない。

というのも、禅の修行というものは、決して軽軽に成功するものではないのであるから。

我々は過去世において、座禅・瞑想をした波羅蜜を持つ者であるかも知れないが、畢竟、それはすでに、遥か彼方の昔の事であり、力も弱く、そのため、誰でもが快速に入禅できる、という保証はないのである。

各個人が入禅できるために必要とする時間の長短、進歩の速い遅いは、個々人によってみな異なるのである。

2.2.2 よい教師(=指導者)の必要性

もし、禅修行者が修習において成功したいと思うならば、よい教師は非常に重要である。

所以、あなたは常にインタビューを受けて、どの様な問題も質問し、教師に指導してもらうのがよい。

仏陀の従兄弟の阿難尊者は、ある日座禅・瞑想していて、突然、以下の事が頭によぎった:

「一人の禅修行者が涅槃に証入したいと思うならば、半分は教師の教えにより、半分は禅修行者本人の努力によるに違いない。」

しかし、彼はこの考えが正しいものであるかどうか分からなかったので、仏陀に質問した。

仏陀は言う:

「阿難!あなたはその様に考えてはならない。ただ、よい教師を得て初めて、涅槃を証入する事ができる。そして私(仏陀)は、もっともよい教師である。もし、教師が教え間違えたならば、学生は教えを間違って受け取ってしまう。もし私(仏陀)が出現しないならば、あなた方は、涅槃に証入することはできないのです。」

(12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>