<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
台湾のある禅修行者が(+過去世を調べた所)、過去の500個の生命の内において、釈葉仏に出会い、仏陀に袈裟を供養した(+ことが分かった)。
このことから、500個の生命の内において、悪道に堕ちることなく、いつも天界、人界にいて、その間を、輪廻した。
彼は、この一世での修行が成功したならば、来世は、色界天に生まれ、次には涅槃に入るであろう。
この様に、華人と、この種の修法は、非常に縁がある。
しかし、華人は、布施を重視しすぎるので、注意する必要がある。
布施は、誰でもできるのであるから、持戒と禅修行の功徳を、上乗せして欲しい。
布施だけして、持戒しないのであれば、未来において、お金持ちの家の犬になるかも知れない。
それでは意味がない。
布施は、以後の生命に福楽を齎すが、五戒を受持し、八戒清浄であれば、人間になるか、または天界に生まれる事ができる。
八戒の受持は、天界に生まれる事ができる。
しかし、天界に生まれる事が、よいという事では、決してない。
最もよいのは、仏陀の様に、入涅槃する事。
これが最も吉祥である。
人間界と天界は、四悪道よりは、とてもよい。
五戒清浄な者だけが、その様な所へ行ける。
動物は、三種類の事しかしらない:
食事、眠る、五欲を享受する、である。
人間は、布施と持戒と禅修行(+の必要性)を知っている。
(17につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>