パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-20(322/430)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
この点に関して、西瓦利尊者(Sīvalī Thera)が良い例である;
勝蓮華仏の時代、彼は、勝蓮華仏の弟子善見比丘(Bhikkhu Sudassana)の様な、受供(=供養を受ける事)第一の弟子になりたい、と発願した。
この心願を達成するため、彼は、仏陀と10万人の比丘僧に、七日間の飲食を布施した。
この善業の果報は非常に大きい。
なぜであるか?
あの当時の人々の、平均寿命は10万歳であり、大多数の人々は、五戒を受持して、戒清浄であった。
彼は、戒行が良好である者の願望は、その清浄なる戒行によって、円満達成できることを、理解していた。
彼は、止禅と観禅の修行をし、行捨智の段階に到達した。
これは、将来において、阿羅漢果を証得する時に、四無礙解智を具足するためにも、必要とされる修行方法である。
故に、彼の布施は、戒・定・慧の功徳を伴っていた。
また、布施を受け取る者は、世間の最上なる福田
ーー仏陀とサンガであった;
布施物は、正当な方法で得られたものであり;
彼は布施の前、布施の時、布施の後、みな清浄な信心(=仏と仏法への信頼)を擁していた;
彼はそれ以前に観禅の修行をして、すでに縁起を了知していたため、彼は大果報を生じることのできる業に関して、深い信心(=確信)を有していた。
これらの要素によって、彼の布施の功徳は、非常に大きなものであって、彼をして、その願望を、円満に達成せしめた。
実際、勝蓮華仏は、彼が、ゴータマ仏の教化の時代に、受供(=供養を受ける者、以下同様)第一の大弟子になることを、授記した。
毘婆尸仏の時代において、彼は、曼都瓦帝城の付近に生まれた。
あの当時、人民と国王は、一体誰が、仏陀とサンガへの布施が多いか、競争していた。
彼らがはちみつ、コンデンス・ミルク、砂糖が必要になった時、彼は、6万人の比丘(+が必要とする)分量を供養したのである。
利見仏(Atthadssī Buddha)の時代、彼は国王になり、名を瓦努那(varaṇa)といった。
仏陀が般涅槃した後、彼は菩提樹に対して、大いに布施をし、後に菩提樹の下で世を去り、化楽天(Nimmānarati)に生まれ。
彼は、人間社会で、34回国王になり、名を蘇巴武(Subahu)といった。
《比喩經》(Apadāna)の説明によると、彼の最後の一生において、彼の父親は、利加威馬哈力(Liccavi Mahāli)で、彼の母親は拘利族(koliya)の王女蘇巴瓦沙(Suppavāsā)であった。
彼は、非常に裕福な家庭に生まれたのであった。
彼は、母親蘇巴瓦沙の体内に七年七か月いて;
最後に彼の母親が彼を生むときには、七日間努力しても、なお生まれることがなかった;
蘇巴瓦沙は、自分は、長く生きられないと思い、夫に言った:
「私は死ぬ前に布施がしたい。」
そして、夫に頼んで、供養の品を仏陀に届けて貰った。
仏陀は供養の品を受け取った後、祝福の詞を述べた。
この布施が原因で、彼女は即刻、西瓦利を生んだ。
彼女の夫が戻ってきた時、彼女は、夫に、七日間、再び、仏陀とサンガに供養して欲しいと頼んだ。
西瓦利は、生まれて直後から、非常に高度な天分を現した。
彼は出生のその日、シャーリプトラ尊者が彼と言葉を交わし、母親の許可を得た後、彼を剃髪得度した。
彼は、最初の髪の毛が、剃髪される時、ソータパナ果を証得した;
二回目の髪の毛が剃髪される時、彼はサターガミ果を証得した;
剃髪の後、彼は即刻、家庭を離れ、静かな小屋で禅の修行をした。
彼は、己自身が長い間胎内にいた苦しみを思惟し、観禅の修行に精進し、観智を向上させて、四無礙解智を伴う、阿羅漢果を証得した。
これは、彼が、かつて、過去仏の教化の時代に、深くて厚い波羅蜜を累積したことと、止禅と観禅の修行をして、すでに行捨智の段階に到達していたのが原因である。
しかし、何が原因で、彼は長い時間、出生することができなかったのか?
過去のある一生において、我々の菩薩は、波羅奈の国王であった。
その時、憍薩羅の国王が彼を攻撃し、彼を殺して、王妃を連れ去り、自分のものにした。
波羅奈の王子は、下水溝に沿って逃げ、後に大軍勢を率いて、反撃した。
彼の母親は、この消息を聞いて、息子に、憍薩羅の城(+の城壁を取り囲み、かつ池の水)を塞ぐ様にと、アドバイスした。
彼の息子は、言われた通り実行した。
七日目、憍薩羅の国王は捕縛され、首を切られて、波羅奈王子の元に届けられた。
過去世における、あの波羅奈王子は、我々の仏陀の時代においては、西瓦利であった。
彼が城の池(の水を止めた)業が、彼をして、七年七か月も、母親の胎内に留まることになり、また出産の時は、七日もかかったのである。
彼の、あの過去世における母親は、我々の仏陀の時代の、拘利族の王女蘇巴瓦沙である。
仏陀は、この物語を語って、蘇巴瓦沙が出産の時に、なぜそれほど長い時間がかかったのか、とその理由を説明したのである。
まさに、この事から、仏陀は以下の様に言う:
「故に、比丘たちよ。
常に、己自身の心を以下の様に反省せしめなければならない:
『長い間、この心は、常に貪、瞋、痴によって汚染されてきた』
比丘たちよ。
衆生の心は煩悩によって汚染される;
衆生の心は、清浄を通して、浄化される。」
後に、仏陀は比丘たち、大衆の前で、西瓦利は、受供第一の大弟子であると宣言した。
聞く所によると、仏陀が、シャーリプトラ尊者の一番下の弟卡底拉尼亜、離婆多尊者(Khadiravaniya-Revata)に会いに行った時、西瓦利尊者を帯同したとの事である、というのも、その道は、歩きにくく、食料も少なかった為に。
また別の時、西瓦利尊者は、自身の福報を試すために、500人の比丘と共に、ヒマラヤ山に行った。
その時、天神は、彼のために、大量の食べ物を準備した。
干達馬塔那(Gandhamadana)という場所において、名を龍使(Naga-Datta)という天神が、七日間、彼らに乳飯を供養した。
これらは、彼の過去世において、(+彼が大いに)布施をした業の、果報である。
次に11番目の回答を聞いて頂きたい;
(10-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>