Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-22(327/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

この点に関して、私は跋提尊者(Bhaddiya Thera)を例に挙げたいと思う:

彼女の母親は迦里果達(kaligodha)であり、釈迦族の地位の崇高なる女性であった。

跋提尊者は比丘たちの中で、出身が一番高貴な大弟子であった。

過去、彼は勝蓮華仏の教化の時代にこの様な栄誉を得たいと発願した。

その時、彼は一個の、非常に裕福な家庭に生まれ、彼は、止禅と観禅の修行を含む、善業を累積した。

迦葉仏とゴータマ仏の間のある一世において、彼は波羅奈城の一人の在家居士であった。

彼は七人のパーチェカ仏がガンジス河の川岸で食事を取ると聞き、そこで、彼は彼らの為に、そこに石で作った七座の椅子を用意して、彼らが石の椅子に座って食事ができる様にした。

これは、彼にとって、座席に座るべき人に座席を提供するという美徳であり、また、彼が高貴な出身の果報を得るために、累積した所の善業の一でもあった。

彼は彼の最後の一世の時、迦毘羅衛城の皇室の家庭に生まれた。

彼が釈迦族の内の、彼に属する所の一国を統治していた時、阿那律王子は、彼の仲のよい友人であった。

阿那律が母親に対して、出家を願い出た時、彼の母親は、出来れば諦めて欲しいという願いの元、もし、跋提王も出家するのであれば、阿那律に出家を許す、と言った。これは、この様に言えば、阿那律が出家を諦めるのではないか、と考えた故である。

阿那律は、跋提王に会いに行き、彼は、跋提王の断りの理由に一つ一つ答えながら、己と一緒に出家し様と誘った。

こうして、跋提王、阿那律及びその他の四人の王子は、みな共に、阿努比亜マンゴー園(Anupiya Mango grove)で出家したのである。

聞く所によると、跋提は、出家した後の一番最初の雨安居の期間に、四無礙解智と共に、阿羅漢果を得たとのことである。

阿羅漢果を証得して間もなく、跋提は、常に衆生かな樹木の下に座禅し、涅槃の楽に安住した。

出定後、彼は往々にして、心からの喜悦によって、以下の様に言った:

’Aho sukhaṁ、aho sukhaṁ’

ーー「ああ、本当に楽しい!ああ、本当に楽しい!」

その他の比丘がそれを聞いて、彼の禅修行に問題があるのか、または以前国王であった時の歓楽を思い出しているのかと思い、この事を仏陀に報告した。

仏陀は人を派遣して、跋提を呼んで、面と向かって、この問題を問いただした。

跋提は答えて言った:

以前、彼は宮廷に住んでいた。勿論、どこもかしこも、厳重に警備されていたが、それでも内心では、恐怖とストレスを感じていた;

今、彼は一人で木の下にいるのだが、まったく畏怖もなく、内心は無為であるり、安穏として住している。

これが、彼が「おお、本当の楽しい!」と感動に満ちて話す理由であった。

過去世の善業の故に、跋提は、かつて連続して500世もの間国王であった;

最後の、あの一世において、その時点では、まだまだ多くの高貴な身分の出身者がいたものの、仏陀は跋提を出身高貴第一の比丘であると宣言したのである。

このことから:業が衆生の(+身分の)高下を齎すのだということが分かる。

次に、13番目の回答を聞いて下さい:

(10-23につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>