翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(4-19)(私家版)
長い長い生死輪廻の中において、もしも、顛倒想によって標記する事を、絶え間なく続けていたならば、ひとたび無常を、真正に体験する事になった時、それを真実だとして受け入れるのは、非常に難しい。
親しい人が亡くなった時、我々は、死ぬほど泣いてしまう。
この様な粗い無常でさえも、受け入れる事ができないのだから、五蘊の生・滅の様な、非常に微細な無常には、更に人を震撼させるものがある。
ある一人の、台湾の女性の禅修行者が、生滅随観智まで修行した時、ずっと泣いていた。
というのも、彼女は、五蘊が不断に生滅、生滅、生滅を繰り返しているのを、受け入れる事ができないが故に・・・
この事は、彼女の、(所縁への)以前の標記は間違いであり、彼女は(所縁をば)、常、楽、我、浄であると思い込んでおり、今、如実に、(所縁の)無常・苦・無我が観えた時、俄かに、それを受け入れる事ができないでいるのである。
(4-20につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>