翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(4-18)(私家版)
ひとたび、目標に標しをした後、(意識を)変えるのは大変に困難である。
鹿が、以前、人が他の動物を虐めるのを見たことがあると、その後に人を見るたびに、即刻逃げる様になる。
農民は、鹿が田んぼに入って、稲を食べるのを防ぐために、案山子を作って田んぼに立てる。
鹿は、案山子を見るや否や、想がまた生起して、それを人間であると見做して、瞬く間に逃げてしまう。
彼の、以前の想は、すでに人をば、一個の頭、二本の手、二本の足として、標記している。
案山子は、人間ではないけれども、鹿は人間であると思いなす。
これが顛倒想である。
同様に、一切の六塵が、六根を衝撃する事によって生じる受を、常、楽、我、浄として、標記するならば、次の段階において、無常・苦・無我を観ずるのは、非常に難しい事となってしまう。
故に、行法の無常・苦・無我を観ずる(為の修行という)のは、顛倒想を正すために、実践するのである。
(4-19につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>