Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

仏陀の沈默

私は、17、8歳の頃、           <エッセイストになりたいな>        と思った事があります。。。         しかし、いざ何か書こうとすると、自分の精神的な浅さ、甘さに直面して、何も書けない、一行も書けない。           実学的には大学で、文化人類学を学びたかったけれど、これも諸般の事情で頓挫…………幸い、子供の時から好きだった仏教だけは死守して……………結婚しても、子供が出来ても、一人でコツコツ仏教書を読みつづけ、原始仏教(パーリ仏教、南伝仏教)に出会いました………中国語で書かれた諸々の仏教書、特にパーリ・アビダンマは読み応えがあり(私は日中バイリンガル、ただし英語は苦手)、それを参考に人生の指針を見つけて、今は心安らいでいます。。。。。。。                     最近《世界は複合的に入れ子になっているのではないか?》と思う様になりました。。。。。                    ゴータマ仏陀も、            『私はこの森の木の事、森の葉の事、すべて知っているが、貴方がたに教えるのは、私の手に持つ、この木の葉一枚分の情報だけです。多くを述べても貴方がたには理解出来ないから』                   と言っています。。。          私達は、人間の形を取っている以上、世界から得られる情報は、実は、とてつも無く少ないのではないか?と思います(人類には、赤外線も紫外線も見えないですし、超絶高音・低音も聞こえない訳ですから)。。。。                ゴータマ仏陀によって、我々凡夫の認識能力を批判的に描写された物語に           【群盲象を撫でる】               があります。。。                 己の知見の浅さを知り、恥を知り、謙虚に生きるのが一番です。