Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2017-10-01から1日間の記事一覧

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心が、周縁の取り巻き的な思想(=考え)と感情に干渉されないでいれば、完全に、心の知覚の領域に専注する事ができ、憶測や想像の影響を受けず、知覚の領域の中で生起した現象を、真実に基づいて、観察する事がで…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 想いを止めるのには、二種類の、主要な目的がある: 一番目は、一個の空間を作り出し、コントロールを受けない、慣性的・習慣的な想いと、主体的で、専注された想いとを、区別・識別し、想いの性質を、はっきり見…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 外へ流れ出た意識と、六根の感知が集まって、交錯する時、覚知は、認知の対象と、混ざり合う。 意識は、眼根と交感して、色相と接触し、認識を生じせしめるが、この認識がすなわち、眼識である; 意識は、耳根と…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-16(170/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼女の禅修行がすでに、正道に安住しているのを見て、アチャン・マハブーワは、彼女の詫びを、優しく受け入れた。 彼は彼女に、彼女の心眼が、亡霊を見すぎた為に、彼女の意識流が随意に流れだし、彼女をして、鬼…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、とりあえず彼女の話を聞いて貰えないかと懇願し、ここを追い出された日に立った波と風は、彼女の心を痛ませ、それゆえに反省もし、その後に、己の過誤をよく観察し、その結果、彼の指導を真剣…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5‐14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この慣性・習慣は、彼女の性格から来ていたが、以前には、全く気が付いていなかった。 今、心の根本・・・寂静・清明・明晰に処していた為に、この外に流れようとする意識が、突然、明確に感じ取れたのである。 …

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、注意力を己の内部に向け、意識の正常な流動を停止し、心の真正なる核心ーー覚知の根源ーーに証入するように、と決意した。 みぞおちの真ん中当たりに、彼女は玄妙で、広くて果てしのない空間ー…

是誰庵のひとやすみ~残すは1/3

「メーチ・ケーウの物語」、翻訳している私、ドキドキ、ハラハラ、とても面白い伝記だな、と思います。 私の知り合いに、ある新興宗教団体に入っている人がいて、私も勧誘されたのですが、私は南伝仏教しか興味がないので、お断りしたことがあります。 彼女…