Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

アチャン・チャー一日一話~11>「誤解」(「精神障害者」改題)

#11-150605

タイの高僧アーチャン・チャー(92年遷化)の法話集(台湾伝承出版社)が手に入りました。P 23にこんな事が書いてあります。

 

《ある日の朝、あなたが仕事で職場に向かおうとしている時、誰かがあなたに向かって無礼な態度で叫び罵ったなら、あなたの心はすぐさま侮辱を受けたと感じ、怒り、報復したいと思うに違いない。

何日かの後、ある人があなたを訪ねてきて、“ああ、何日か前にあなたに暴言を吐いたあの人は、精神障碍者で、もう何年も患ったままなのです!彼は、誰にもああやって他人を侮辱するけれど、今ではもう誰も彼の言っている事を本気にする人はいません”と言いました。あなたはこの話を聞くと、自由を感じます。あの日以来、心の中に溜まっていた憤怒と不快感は完全に消え去りました。どうしてでしょうか?それはあなたが事の真相を知ったからにほかなりません。人が訪ねてくる前には、あなたは真相を知らず、あの人を正常な人間だと思っていたので、あなたはその人を憎み、苦しむ事になりました。しかし、一旦真相が明らかになると、事態が変遷して心境も変わりました。“あら、あの人は精神障碍者だったの!それならば仕方ないわ”。

あなたが事の真相を理解した時、あなたは気持ちが晴れる事を自ら体験します。真相を理解した後、あなたはそれを手放す事ができます。もしあなたがずっと真相を知る事がなければ、あなたは執着します。あなたがあなたを侮辱した人が正常な人間だと思っていたなら、あなたはその人を殺すかも知れません。しかし、あなたが事の真相を発見した時――彼が精神異常だという事――あなたは、ほっとするでしょう。これが真理を理解した時の心理です。

一人の、ダンマ(法)を見る人にも似たような体験が起こります。貪欲、瞋恚、痴(愚か)の消失は、同じく、上述のような方式で消失します。我々がこの三毒をよく理解しない時、我々は“でも一体どうしたらいいというのだ?私の貪と怒りはこのように燃え上がっているのに”と思います。この事は、あの精神障碍者を健常者であると誤解していたのと同じなのである。我々ははっきりと真理を理解していない。ただ、最終的に、彼が精神障碍者であると分かった時初めて、我々の心の傷と怒りは癒されるのである。誰もあなたに事の次第を教えてくれる人はいない。ただ、心が自ら真理を体得した時にのみ、執着を絶滅させ、捨て去る事ができるのである》

(「森林里的一棵樹」より)

 

私たちは色々な事柄を誤解している事が多いです。子供時代が楽しくなかった、と言う人も、実は両親の愛情に守られていたのだ、という事が分かっていない場合があります。してもらった事はすぐ<当たり前>になり、してもらえなかった事は<自分は損してばかり!>と記憶の中からなかなか消える事がありません。

冷静に計算してみれば、案外、人生は五分五分だったりします。そう思うとちょっと気持ちが楽になります。

                  (翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)