南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」6-3(最終版)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

ネン:

修行の様子はどうですか?

学生:

私は、以前は妄想が比較的多かったですが、今は修行がよく分かるようになりましたーーその為に、私は、vipassanaについて、いとこや、知人に、話して聞かせたいと思います。

ネン:

あなたが妄想するのは、<今・ここ>を離れたからです。あなたは、どうしてあなたが<今・ここ>から離れるのか、その理由が分かりますか?

あなたは功徳を積みたいと思い、たとえば、他人に vipassanaを話し、教えたいと思っています。

あなたは妄想は、どのようにすれば消えると、思いますか?

学生:

横になって、色身を観照していた時、妄想は自然に消えてなくなりました。

ネン:

もし、あなたが身体を観る事に時間をかけると、あなたは、色身の真相を、見る事ができるでしょう。

もし、身体を観る事に少しの時間をかけると、少しの真相を発見するでしょう。

あなたは、照見する事が益々多ければ、発見する事も、益々多くなります。

しかし、観照する時間が長すぎると、あなたの覚照力は低下します。

このような時は、少し休んで、その後に、観照を再開すれば、覚照力は上昇します。

学生:

色身を観照している時、泣きたくなる時があります。

ネン:

あなたはこういう感覚を持っている。

何故であるか、あなたは分かりますか?

あなたは、なぜこのような感覚を持つのかを、知る必要があります。

たとえば、死体を見た時、あなたはある種の感覚を持ちます。または、美女を見た時も、ある種の感覚を持ちます。

あなたは、これらの感受がなぜ生じるのかを、理解するように、(+修行に)チャレンジする必要があります。

解決の方法は、明確な覚照力を保持する事です。

あなたは何をしているのか、この種の現象(泣きたい気持ち)は、どのような時に生じ、なぜ生じるのかを、観照しなければなりません。

たとえば、泣きたいと言う気持ちは、座る色身から、姿勢を変える時に生じるのであれば、それは心が、<今・ここ>から離れた事が、原因です。

もし、あなたが原因を知ったならば、あなたは、なぜ泣きたくなるのかという事の、原因が分かります。

この原因によって、<今・ここ>から離れるのです。

あなた方お二人(質問者は二人)は、似たような問題を抱えています。

しかし、原因は同じで(覚照力が弱い)、あなた方は身・心は不実(=実体が無い)である事を理解しなければなりません。

あなたの中の一人は恐れ、もう一人は、泣きたくなる・・・しかし、修行に関しては、お二人は進歩しています。

一切法とは、色法と心法の二法であって、その外に、何らか他のものが、ある訳ではありません。 

あなた方が修行する時、法を見なければなりません。座っているのは私ではなく、自我でもない。

我々の修行の方式は、座っている色身を観照するもので、もし、あなたがただ座っている姿を観照するだけで、何が座っているのかを知ることがないのであれば、あなたは法を見ていないし、法を分かってもいない、という事です。

あなたが法を理解したという時、それはあなたが、身とは何か、心とは何か、が分かった時です。

世間には多くの法がありますが、これらの法は、みな、色・心の二法に帰結されます。

もし、あなたが身・心をもって、それを所縁としないのであれば、あなたは、vipassanaを修行している事にはなりません。

学生:

私が修行する時、どのようにすれば、貪欲相応を避ける事ができますか?

ネン:

身・心は、我々の欲求によって顕現するのではありません。

それらは、自然に生じるのです。

我々は、意識的に創造して、身・心を顕現させたりする事は、出来ないのです。

たとえば、聞くという作用が生起する時、我々は、聞きたいから、聞いている訳ではありません。

故に我々は、この<聞く>という作用を利用して、智慧の啓発に使う事ができます。

この種の智慧は、心が聞いている(私が聞いているのではない)を知る智慧です。

もし、身・心が、あなたの欲求に従って顕現するものであるならば、それは真正なる身・心ではありません。

こうした事から、あなたは、姿勢を変える時に、その原因を明確にし、たとえあなたが、姿勢を変えたくないと思っても、あなたは変えざるを得ないのです。

このように(+よくこのことを知っていれば)貪欲の生起するのを防ぐことができますし、もし、修行中に、煩悩と相応しなければ、智慧は自然に誘発されます。

                 (<「身念処」アチャン・ネン著/翻訳終了)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājem>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>