<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<アチャン・ネン問答篇>(p141~202/抜粋)
①
アチャン・ネン(以下ネン):
あなたは妄想しますか?
学生:
よく妄想します。ある時は妄想が大変に多く、有る時は少ないです。
ネン:
あなたは、なぜ妄想するのか、知っていますか?
学生:
知らないです。
ネン:
あなたが妄想する時、あなたはその前からすでに<今・ここ>を離れてしまっているのです。
あなたは、その前から、覚照力を無くしてしまっています。
その為、<今・ここ>において、あなたは身・心への覚照力を失い、それが失われた時、あなたは妄想をし始めるのです。
学生:
私が妄想を始めてしまった時、どうすれば、<今・ここ>に戻れますか?
ネン:あなたは、妄想するのは「心」であって、「私」ではない事を知らねばなりません。
妄想も法です。
あなたは妄想が嫌いでしょ?
違いますか?
学生:はい。
ネン:
あなたの知見(=考え)は間違っています。
というのも、もし、あなたが、自分にとって妄想がよいものである(ママ。前後意味不明)と知っていたら、あなたが妄想していると知った時、あなたはその時には、すでに<今・ここ>から離れていることを知って、又すぐに、<今・ここ>に戻って来て、身または心を、観照することができます。
あなたは、心をして、座る色身を長時間観照できるようになりたい、と思っているのではありませんか?
学生:はい。そうです。
ネン:妄想は、身体ですか、心ですか?
学生:妄想は心です。
ネン:あなたが妄想は心であると知る時、それを知っているという事は良いことです。
その後に、引き続き妄想心を観照する必要はありません。
というのも、心は非常に微細で、初心者にとっては、(+心を)観照する事は非常に難しいのです。
あなたは、あなたが妄想しているのを知った時、(+心をそれに向けて)それを分析してはなりません。
急いで<今・ここ>に戻って、座る色身の観照をして下さいーーもし、妄想が激しすぎる時は、姿勢を変えて下さい。
あなたは、妄想を消したいと思いますか?
学生:
はい。というのも、妄想は、察知するのが難しいからです。
それは四種類の姿勢のようには、簡単に察知する事ができません。
ネン:
その通りですね。
心は微細であり、初心者がそれを観照する事は難しいのです。というのも、初心者の正念と正知は非常に弱いからです。
故に初心者は、よく妄想します。
もし、正念・正知が<今・ここ>において保持されるならば、あなたは、妄想する事はありません。
あなたは身・心への覚照力を高めなければなりませんが、それは、<今・ここ>において、です。
あなたは、正念・正知の特徴を、よく知るようにしなさい。そうすれば、あなたが<今・ここ>から離れた時、離れた事をはっきりと知ることができ、そうであれば、即刻、<今・ここ>に戻る事ができます。
もし、あなたがよく妄想する為に、懊悩するのであれば、あなたは更に妄想するようになるでしょう。
あなたが妄想を消そうとしても、妄想は消えないのです;というのも、あなたは妄想が嫌いで、そして、この種の嫌悪的な心理が混じった妄想は、もう一つ別の、妄想の助縁になるからです。
妄想も心である事を知らないと、妄想に対して嫌悪を生じますが、この種の嫌悪の心理は、我々をして、<今・ここ>に戻れないようにするのです。
(6-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>