Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー26

縁起の言語、または無上の法語は、我々をして如実に、物事の真相

を理解できるよう、支援してくれる。

例えば正見(sammāーdhiṭṭhi)は、一般の人または凡夫が使う日常

用語で説明するならば、この世界があり、他方世界があり、父がおり、

母がおり、天国があり、地獄があり、業があり、業を造る人と業を

受ける人がいる;今生と来世がある・・・これらは皆、普通の人が

理解し、執着する所の言語によって説明される。

中級の正見になると、正見は八正道の一つとなり、もはやこのよう

には説明される事はなく、それは苦と苦の滅尽を述べているだけ、

という事になり、かつ、苦を受ける「人」がいて、その人が苦を

しているとかの見解は認めないが、これもまた正見と呼ばれる。

無上の正見、または、如実なる出世の境界については、経典の中

において、さらに一層、深い説明がなされている。

如実に、縁起の知見を見極めるならば、実存主義(atthitā)に

偏向することもないし、虚無主義(natthitā)に偏向ること

もなく、(真理を)徹底的に見極めて、中道に安住するもので、

何を見極めるかと言うと「此有故彼有、此滅故彼滅」の縁起の

流れ、その中にはどのような「私(自我)」「人」というもの

も決して存在しておらず、天国、地獄さえも存在していない事

を、見極めるのである。

この種のレベルの知見を得たならば、それは、如実の中道と

呼ばれる。というのもそれは、断見にも常見にも、

偏向しないからである。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)