以前、台湾のお寺(テラワーダ系)で頂いたお経に<願他們是業的主人>とありました。
どういう意味かと、僧侶に質問しましたら、「業の持ち主は自分だという自覚の事」との事。
その時は「業って、自分に属しているんだよって、そんな当たり前の事を<私は願う>って、ちょっと大げさ」と思ったのですが・・・。
最近、こう思うようになりました。
業の持ち主は自分、業の主人は自分・・・という事は、業の管理もまた自分!!
そうなんだ。
仏教は宿命論じゃない。
今は何かの事情でつらくても、そしてその原因は全部自分にあるとしても(これが業ね)、イヤ、だからこそ、自分が状況を回していけるんじゃないか?!
(前世からの)悪い業が自分にくっついて離れないと嘆くのでなくて、自分が業の主人なんだから、何とかせねば、何とかなる・・・という事なんだ!
人が苦しんでいるのを見る時、
私はそっと心の中で思います。
その苦しみを引き込んだのはあなた自身。
だったら解決するのもあなた自身。
解決する方法を知っているのもあなた自身。
願你是業的主人(yuan ni shi ye de zhuren)
あなたが業の主人として気高く
振る舞えますように。