仏陀は答えて言う:
「私が弟子を殺すと言う意味は、私は彼ら(彼女たち)を、それ以上教えない、という事を意味します。というのも、「法」の角度から言うと、我々は、この種の弟子は、すでに死んでいるのです!それが故に、私は彼らを殺す、とあえて言うのです。彼らにとっての法、彼らにとっての教師である私から言わせれば、彼らは、私に指導されてのみ、初めて生きているのです。」
凱希は喜んで信受し、席を離れて去りました。
我々がこの物語を聞くとき、同時に、仏陀の最後の遺言を思い出さなねばならない:
「己自身を岸とし、己自身を頼りにし、修行に精進せよ。」
彼は常に、彼の指導する「法」によるべきであり、「この人(=仏陀)」に依存してはならないと、人々に注意を与えた。
我々がこの言葉を聞くとき、我々は、教えと教師を必要としないし、「法」もまたすでに我々の心の中にある、などとは決して思ってはならない。
もし、それが本当であるならば、我々はとっくの昔に悟っているはずである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-4につづく)
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<ケーマ尼著「「目の中の塵」中国語→日本語
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>