wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-17

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

学生たちは、彼らの教師の様子をみて、心を痛め、意気沮喪し、教師は彼らと同じ凡夫であると断定し、教師への尊敬心を、喪失することがある。

聖者であっても、心を痛めるということがあることを、

仏陀の聖弟子伝≫の中に、ヴィサーカーの話が載っている。

ある時、ヴィサーカーは、真昼間の熱い日差しを受けて、世尊に会いに行った。

というのも、いつも彼女が食べ物を布施するときに手伝ってくれていた、心から愛する孫のダッターが、突然この世を去ったが故に。

彼女は、世尊に己の悲しみを訴えた所、世尊は、彼女が舎衛城に住む人民の数くらいの子孫が欲しいのかと尋ね、彼女は愉快そうに、同意した。

「しかし一体全体、舎衛城では、毎日どれくらいの人が死んでいるだろうか?」と世尊は訊ねる。

彼女は少し考えてから、答える:

「世尊。舎衛城では、毎日、9・10人、3・5人、または二人、少なくとも一人は死んでいます。舎衛城では、毎日、誰かが死んでいます。」

世尊は、このような状況であったなら、彼女は悲しまないだろうか?と尋ね、彼女は、このような状況の下、自分は毎日、悲しまずにはいられない、と正直に認めた。

世尊は言う:

100人の愛する人がいたならば、100個の悲しみが生じる。90の・・・5・・・4・・・3・・・2・・・1人の、愛する人がいたならば、90個の・・・1個の悲しみがある。

そして、愛する者のいない人には、悲しみは、ない。

私は、ただこのようにでしか、憂、悲、苦、悩を乗り越えられない、と言う。

≪優陀那・8:8≫

(3-18につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>