wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-26

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1、貪行意楽者:私は証悟しなければならない。

原因:上記(1)の事柄は、元々、既に、非常に執着の激しい人に発生する。

彼は世間的な名声と利益、地位を追求しており、また既に、非常に成功している場合もある。

しかし、一たび失敗したならば、彼は打ち続く挫折に耐えきれないで、宗教的な庇護を求めるようになる。

彼は、己の面子の回復のために、己が失敗者でないことを証明しようとする。こうして、彼は一心に涅槃を証悟したいと思いなすが、これは貪欲を含む意楽である。

無貪意楽者:漏尽者の証悟を得られますように。

原因:貪欲の禍を見た後の、その初めにおいては、あなたは、己をコントロールしようという欲を放下(=手放す)ことができない。しかし、あなたの誠意によって、徐々にではあるが、あなたは出離の心を育成することができ、何かを成就しなければならないという執着はなくなる。

証悟とは、欲求の成果ではなく、欲求を放下した時の成果である。

たとえ「聖者」、たとえば、漏尽者になりたいという希望でさえも、余計な事なのである。故に、あなたは、ただ証悟した後においてのみ、あなたの心が欲有・・・「聖者」になりたいという欲望、貪欲から解脱することができることを、真正に理解しなければならない。

「聖者になりたい」と思う事は因・縁法の内である;

証悟とは、「聖者になりたい」いう境地、想いからの超越であり、証悟されるのは究極無為法(因・縁の法を超越している)である。

このような正確な見解を具有する意楽が、無貪意楽である。

(3-27につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>