Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

「身念処」1-18

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

これらは、非常によい質問である。

というのも、仏教徒は皆、苦を滅したいと考えており、苦を滅したければ、涅槃を証得しなければならないからである。

我々は、手短に、これらの疑問に対して、答えたいと思う。

もし、あなたが修行に成就した時、あなたは更にはっきりと、知る事になるであろう。

a)涅槃とは何か?

涅槃とは、短い、暫定的な、道刹那の所縁である。涅槃は実相であり、または自然な事物の真実の状態である。

道刹那は、涅槃を所縁として、煩悩を断じ除く事ができ、苦を滅する事ができる。

苦とは「我(=私)」(心身)である。もし、「我」(心身)がないならば、諸々の、たとえば、老、病、死などなどの苦はないのであるーー涅槃の状態には、五蘊がない。五蘊は、真正なる苦(苦諦)である。

我々一人ひとりは、皆、五蘊によって構成されている:すなわち、色、受、想、行、識である。

また、もっと簡単に言えば、五蘊とは、身体(色法)と心(心法)である。五蘊の後ろの四つの項目は、心法である)。

五蘊は苦の真理(苦諦、または第一聖諦)である。

苦諦はずっと存在し続けているが、しかし、通常、我々はそれを体験・体得する事がない。

というもの、それは煩悩(渇愛)が原因で、また、煩悩が我々を創造してもいるからである。我々を創造する所の煩悩は、我々と共に長時間共に、存在し続けているーー我々がそれに対して、何等かのアクションを起こさない限りは。

b)涅槃とはどこにあるのか?

涅槃はあるどこか一つの場所、というものではない:それはどのような場所でもない。

どのような人も、たとえ超能力を有する人であっても、涅槃がどこにあるのかと、答える事は出来ない。

涅槃は天国・浄土でもない;

涅槃は風のようである;

ただ、それの作用によって、それの存在を知ることができる。

涅槃は、非常に殊勝な道刹那の所縁であり、涅槃は、この種の道刹那心の所縁なのである。

凡夫は、煩悩の中に沈潜しているが、しかし、彼がヴィッパサナを修して、実相般若を啓発したなら、彼の心は清浄になる。

これを、道刹那と道果、という。

この両者は、涅槃を所縁としている(16階智の中の14階智と15階智である。)

(1-19につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>