<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
年若いKaccaññaは、急いで言った:
「おっと!
Vidhura!
七種類も、説明しなくてもよい。
私は、最初の<信念>というものさえ、理解できない。
先にその意味を説明してくれ。」
Vidhuraは言う:
「信念とは、因果業報の理を深く信じる事だ。
お前は、覚えているか?
お前が私を、馬の尻尾に結わえ付けて、馬を走らせて、私を殺そうとし、そして、その後に、馬を止めて私に聞いた:
『まだ生きているか?』
私は答えた:
『私は、いまだ元気に生きている』と。
私が死なないのは、因果業報の故にであり、この生において、業報がいまだ尽きないならば、お前が私を殺そうとしても、私は死にはしない。
私は、何時の日にかは、死ぬであろうが、それは今ではない。
愚者は、生があれば、必ず、老、病、死等の自然現象がある事を知らない。
故に、愚者は、争いを止める事ができず、恨みを持ち続け、将来においても、争いを続けるのだ。
智者は、生があれば、老、病、死などの自然現象がある事を知っており、故に争わず、争いから遠く離れ、将来においても、争いに巻き込まれる事がない。
これが<信念>の意味である。」
(3-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>