先日、タイの洞窟から救出された13名(少年12名、コーチ
1名)の内、クリスチャンの少年1名を除く12名が、
一時出家をしました(8月6日現在、コーチを除く11名は、すでに還俗しています)。
一時出家は、色々な意味合いを持っているようです。家族に死者がで出た場合、その供養に、また、単なる通過儀礼としての出家など等・・・私のように外部からみている人には分からない、隠れた要因も、あるかも知れません。
私がタイ西部で修行していた時(雨安居)に、タイ航空のパイロットの方々が一時出家していましたが、みなさん、会社の有給扱いだ、と言っていました。うらやましい限りです。
私が緬甸パオ本山で出家した時は、一回目は、同宿者の台湾人女性に「三日坊主でも、ここの人は喜ぶから」と言われて、パオ・セヤドーの前に連れて行かれ、出家したもの。
Pañña-adhika は、この時、パオ・セヤドーにつけて頂いた法名です。
一旦日本に戻って、二年ほど間を置いて、二回目の緬甸。
その時は、当然のように出家しました(場所は一回目と同じパオ本山)。
三回目は、モービー僧院で修行していた法友と連絡をとって、クムダ・セヤドーから出家の許可を頂いてから、私がモービー僧院を訪ねて行って、出家したもの。
なお、パオ・セヤドーは自著の中で、一度出家したものの、短期で還俗してしまう一時出家制度は、あまり好ましくない、というご意見。
スリランカは一たび出家すると、還俗できませんから、出家した後に政治に興味を持った比丘が、比丘の身分のまま、社会活動を始めると言う面もあり、それもまた痛し痒しかな、と私は思います(難しい問題ですね)。
上記、すでにご存知の方には、どうでもよい話ですが、少年たちの出家のニュースを聞いて、テーラワーダ(南伝仏教)の制度ってどうなってるの?と疑問を感じた方々のために、書いてみました。
閑話休題。