Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-30

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

先ほど述べた「意門転向」または「五門転向」は受であり、すべて「捨受」である。

「悦受」または「憂受」を生起せしめるのは「意門転向心」の後の「速行心」である。

例えば、人がここに座って開示を聞いているが、心は自宅にいる子供の事を考えている、とする。

耳門は私の開示の声を聴いてはいるが、反応しない。

というのも、この時、彼は可愛い子供の事を考えていて、顔はニヤニヤしていて、これは「貪心心路過程」であり、不善心である。

もし、子供を愛していて、子供が健康である様願うならば、愛する心は「貪見グループ」に属し;後ろの願う心は、善心である。

また、例えば、お母さんの事を思う~ああ、お母さん、あなたが健康であり、安楽であります様に。

お母さん、私はあなたを愛しています、というのは不善の貪心。

お母さんの健康と安楽を願うのは、善心の慈心。

所縁はすべて、母でありながら、善心と不善心が含まれる。

しかし、己の母親または子供を祝福する事と、大勢の人間を祝福する事の力と利益は、異なっている。

母親、子供を祝福するのは熱心に出来るが、しかい、功徳は比較的弱い。

というのも、前の「貪見グループ」の不善心路過程と、後ろの祝福の心によって、「二因」善心(無瞋、無痴)になるからである。

貪愛によって子供を祝福するのは、二因善心である:平等に子供と大勢の人々を祝福すれば、それは「三因」善心(無貪、無瞋、無痴)になる。

・・・以上は、我々の日常生活において、生起する所の、各種の心路過程の説明である。

(31につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>