「痴は一切の不善心の根本」
である。
すべての不善心には、かならず、すべてに亘って、痴が存在する。
ただ、
「悦具邪見相応無行一心」
においては、貪が、比較的顕著である。
「憂具瞋恚相応無行一心」
には、瞋と痴のふたつがある。
「捨具疑相応一心」、
「捨具掉挙相応一心」は、
ただ一個の因、すなわち、純粋に、痴のみ、存在する。
この様に、不善心は、ある時には、二個の不善因があり、ある時には、一個の不善因がある、ということになる。
貪・瞋・痴の三個の不善因は、同時に発生する事はない。
というのも、瞋と貪は、相反する状態であって、瞋は排斥、貪は掴み取る事、を意味するが故に。
ふたつの相反する状態の心が、同じ一つの心識刹那において生起する事は、不可能である。
故に、三個の不善心は、同時に生起する事はない。
(3-59につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>