貪と瞋は、同時に生起する事は出来ない。
というのも、貪の本質は執取であり、それは捉えて離さない事を意味する;
しかし、瞋の本質は反抗であり、それは、心による反撃、または破壊、排斥を意味する。
故に、貪は執取、瞋は排斥で、(その性質は)ちょうど真反対となる。
故に、《アビダンマ論》において、貪と瞋は、同時に生起する事は出来ない(と書かれている)。
ただし、すべての不善心には、必ず痴が存在する。
痴は、一切の不善の根本である。
ただ、8個の貪根心の中においては、貪が比較的に、顕著である。
この事から、貪根心は、貪一個のみが原因である、という事ではない、事が分かる。
(3-34につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>