Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-23

獣語(tiracchānakathā):

多くの翻訳者は、この言葉を「獣語」と訳している。しかし、tiracchānakathāを直訳すると、「横に向かって歩く」である。

この語彙は、動物の事を言っているのではあるが、注釈(中部註)の解説では、ここでは横に向かって歩く言論を指すか、または、天界や解脱(涅槃)へ向かう道とは直角になる方向へ歩く言論を意味すると言い、その含意は、この種の言論は、(+精神の)向上とは相反しているということである。

無益な言論とは、王について語る、盗賊、大臣、軍隊、危難、戦争、食べ物、飲み物、衣類について語る、ベッド、花飾り、香水、親戚、車、村、町、都会、国家について語る、女性、英雄、街道、井戸、死人、些末事、世界の起源、海の起源、事柄は実にこのようであるか、ないかについて語る。最後の一項目は、六種類ある:常論、霊魂断滅論、幸運論、損失論、欲楽論、自虐論。故に合計32種類の、無益な言論があることになる。

この32種類の無益な言論は不適切である。

というのも、あなたが禅相に専注する時、これらは、あなたをして、禅相を消失せしめるからである。

しかしながら、10論は、適切である。

10論:10論とは、経の中で提起された10種類の言論である:

「このような言論は、貪欲を解消するのに関連があり、心の解脱に有益であり、厭離、離欲、滅尽、寂静、勝智、正覚と涅槃に導くことができる。

それはすなわち:少欲論、知足論、離群隠居論、遠離社群論、精進事論、持戒論、定論、慧論、解脱論、解脱智見論である。」

たとえこれらが、適切な言論であるとしても、あなたは、ただ適量をのみ語るべきである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-24につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-22

8-5-7 禅相を守る

あなたは、一つの種類ごとの姿勢において、同様の方法によって、正念をもって、禅相に専注しなければならない。

もし、一回の座禅・瞑想の時に、禅相への専注を通して、ジャーナを証得することができたならば、それは非常によいことである。

もし、それが不可能であるならば、あなたは、それを、転輪聖王の胎児と見做して、それを守ることに、精進しなければならない。

ここにおいて、守る方法は、以下の七つある:

(一)住む場所。

(二)行く場所。

(三)言論。

(四)人。

(五)食べ物。

(六)気候。

(七)姿勢。

8-5-7-1 住む場所

もし、あなたが、ある地方に住んでいるとして、いまだ生起しない禅相は生起せず、または生起した禅相が消失することがあり、また、いまだ打ち立てていない正念を打ち立てることができず、定のない心もまたそのままに、定に安立することができないならば、その住所は、不適切である。

もし、禅相が生起して、かつ安定しており、正念も打ち建てられて、心も定に安住することができるならば、この種の住所は、よい住所である。

故に、ある寺院の中で、たくさんの住まいがある場合、あなたはそれらの住居を、逐一、試すことができ、一か所において、三日ほど住んでみて、心が専一になる住居(+を見つけて、そこ)に住するのがよい。

適切な住居に住んで初めて、あなた、あなたの禅修行の業処を、知ることができるのである。

8-5-7-2 行く場所

住まいの北方または南方の、あまり遠くない所で、一個半の「各沙」(kosa)の距離以内に、簡単に托鉢食を得られる村が、(+托鉢に)向いている。

この条件に反する村は、不適切である。

住まいの北方、または南方を選ぶのは、(+托鉢で)往復する時に、昇ってくる太陽と向き合わない為である。

一個の「各沙」とは、300弓に等しい距離である。

8-5-7-3 言論

32種類の、無益な言論に含まれる言論は、不適切である。というのも、それは、禅相を消失させるからである

10論に関連する言論は適切であるが、しかし、適切ではあっても、同時に、適量でなければならない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-23につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-21

8-5-5 二種類の禅定

二種類の禅定がある:近行定と安止定である。

安止定は、心が持続的に、不断に、目標、たとえば、安般念似相に、完全に沈入するものである。この時、当該の(禅修の)目標を覚知する心の合間に、有分心が生起することはない。

禅支はすでに、強くて、心をして、不断に目標につなぎとめておくことができる。

近行定では、心が目標に沈入する時間はますます長くなるけれども、いまだ、ある時には、心は有分心が生じて、(+集中が)途絶えてしまうことがある。

この段階では、五禅支の強度が足りないために、心は干渉を受けないで、(目標の中に)安止することができないのである。

8-5-6 転輪聖王の胎児

疏鈔では、比喩をもって、このことを解説している:

たとえば、一人の王妃が、将来転輪聖王になることができる胎児を身ごもったとする。

彼女は時々刻々、肉眼で己の子宮内の胎児を見ることができる。その時、彼女は、この胎児が出産前に死なないように、非常に慎重に、恭しく保護する。同様に、禅修行者は、非常に慎重に、恭しい心でもって、己の禅相を守らなければならない。怠惰な心、気の抜けた心、また健忘の心は、人をして、高度の修行の成就に導かせることは、ない。

故に、彼は、熱意、正知と正念を保持し、歩くときにも、立ち止まるときにも、座るときにも、横になるときにも、禅相に専注しなければならない。

たとえば、経行(行禅、歩く瞑想)の時、彼、まずは、経行処の起点に立って、呼吸に専注しなければならない。禅相と呼吸が結合して、かつ、彼の心が自動的に禅相に専注する時、彼は一心に禅相に専注する。専注した結果、定力が非常に強くなった時、(+修行者は)初めて、足を上げて歩き始める。歩くときは、引き続き、一心に禅相に専注する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-22につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

是誰庵のひとやすみ~生きててよかった(笑)

子供の頃から仏教が好きで、色々な仏教書を、手当り次第、読んでいた私。

で、日本の禅僧が、自著の中で、<非想非非想処(禅)>について、「想像もできない境地」と書いてあったのを読んで、子供心に、「高僧の理解できない境地って何?」「非想非非想処とは言っても、それは言葉だけ存在していて、実体はないの?」と、思ったものですが・・・。

本日、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」P63 を翻訳していて、「あっ、長年の疑問が、今、解けた!」と思いました(No.5-20 参照の事)。

<非想非非想処(禅)>は、「禅」という言葉がつくくらいで、ジャーナの一種です(今さっき、翻訳したばかりの、受け売りです~笑)。

で、修行者が、深い深いジャーナに入って、非想すなわち、何も想っていないかというと、そんなことはなくて、非・非想、すなわち、な~~にも想っていない、といえばそれは言いすぎになる、少しは想っているよ~という具合。

非想非非想を分解すると、非想は、想っていない。それの前に<非>を付けて、非非想にすると、想っていないという事は、ない。すなわち、少しは想っている、非常に微細ながら、微かに想っている、ということなのですねぇ。

納得。

インド人の言葉の使い方は難しいですねぇ。

四禅八定は、12種類の禅と定の事かと思えば、四禅と四定で、8種類だったりする・・・四苦八苦もそうですよね、12個の苦じゃなくて、8個・・・0を発見したインド人は、言葉や数字の表現が細かい、イヤ、独特過ぎる・・・^^;

12、3歳の頃にもった疑問を、68歳で解く。

生きててよかった(笑)。

最後に、パオ・セヤドーの緬甸語・英語版著書にある<非想非非想処(禅)>を、明快な中国語に翻訳して下さった、お弟子さん達に感謝、です!

 

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-20

異なる人には、異なる形態の禅相が生じる。というのも、禅相は「想(=思い、以下同様)」から生じるからである。

禅相が出現する前、異なる禅修行者の異なる想によって、異なる禅相が生じる。

禅相は想から生じる・・・その根源は想である。異なる想から禅相が生じるのである。故に、それは異なる形式によって顕現するのは、想の差異を原因としているのだということを理解する必要がある。(《清浄道論》)

想の差異を原因として:禅相が生起する前に生じていた想の差異による。

これらの注釈によると、異なる禅相は、異なる想に依存して生じる。しかしながら、仏陀の教えたアビダンマ蔵のよると、想は、単独では生起できないものである。

それは、必ずや、その他の相応する名法と同時に生起する。

ここにおいて、もし、禅修行者が、愉快な心で、安般念似相に専注するならば、合計34個の名法(+があり)、そのうちには、触、思、一境性、作意、尋、伺、勝解、精進と欲が含まれる。

故に、想に差異があるだけでなく、一切の相応する名法にもまた、差異があり、非想非非想処禅(neva-saññānāsaññā yatanajhāna)は、まさにその一例である。

このジャーナと、その相応する法は、想がなく、また想がない訳ではなく・・・(+このジャーナがそのように呼ばれる)その理由は、粗い想はない、しかし、微細な想はある、ということにある。

ここにおいて、単に、想が、かくの如くであるばかりではなく、受もまた非受非非受、識は、非識非非識、触は、非触非非触である;

同様の形容法は、その他の相応する法にも適応することができる;

しかし、ここでは、想を用いて説明していることを理解する必要があるのである(《清浄道論・第10章・第50節》)。

同様に、安般念禅相もまた、想を用いて説明することを理解しなければならない。

我々は、後になって、先ほど述べた34個の名法について、開示と討論を行いたいと思う。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-21につづく)

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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-19

8-5-4 各種の異なる禅相

安般念の修行によって生じる禅相は、人によってそれぞれ異なっている。

それは、人それぞれの違いによって、異なってくるものである。

ある種の人々にとっては、禅相は、軟らかい感じである。

たとえば:綿花、広げた綿花、空気の流れ、明星の光、明るいルビーまたは宝石の輝き、輝く真珠のようである。

ある種の人々にとっては、それは粗雑で、綿花の木の幹、または棘のある木にようである。

ある種の人々にとっては、それはたとえば:

長い紐または細い紐、花輪、煙、広げた蜘蛛の巣、薄い霧、蓮の花、月、太陽、電燈の光または蛍光灯の光のようである。

綿花のような、純白の禅相は、大多数の場合、取相である。というのも、取相は通常は、不透明で、光らないものだからである。

禅相が、明けの明星のように光り輝き、透明であるとき、それは似相である。

禅相が、ルビーまたは宝石のようであって、あまり光らない時は、取相である。

それが明るくなり発光する時、それは似相である。

その他の形状と色彩の禅相は、この方法を運用して、理解することができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-20につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-18★

8-5-3 特徴に注意を払ってはならない

あなたは、呼吸または禅相の四大の特徴に、注意を払ってはならない。

すなわち、硬さ、粗さ、重さとやわらかさ、滑らかさ、軽さ、流動性と粘着性、熱さと冷たさ、支持性と推進性である。

もし、それらに注意を向けたならば、四界分別観を修行していることになり、安般念の修行にはならない。

次に、あなたは、呼吸または禅相の無常、苦または無我を観じてはならない。これらは共相と言う。

なぜこれらを観じてはいけないのか?

というのも、観禅の目標は行法であり、それはすなわち、究極名色法と、その因であるから;呼吸と禅相は、究極法ではなく、それらはいまだ密集(概念法)しており、故に、観禅の目標にはなりえない。

もし、あなたが、それらを無常・苦・無我と見做すならば、あなたはすでに、安般念を修習しているのでもないし、観禅を修習しているのでもなくなる。

もし、あなたの禅相が白色であり、また、あなたは、それに対して、継続的に専注することができるならば、それはますます白くなり、次にはますます明るくなり、それは、空にある明星のようになる。

その時、あなたの心は、自動的に、似相の中に飛び込む。

もし、あなたの心が似相の中に飛び込んだ後でも、長時間、完全に動揺することがないならば、この時の定力は、安止か、またはジャーナと呼ばれる。

初心者にとっては、この時は非常に重要な段階である、と言える。

その他の色彩(+が現れる)安般念似相についても、同様(+に理解するべき)である。

訳者コメント:下線訳者。重要な概念なので、下線を引きました。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-19につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>