Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~閲覧くださる皆様へ

現在、このブログ(yamaneko.hatenablog.jp)

では、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」と、タイのメーチ、ケーウ尼の伝記を、並行して翻訳し、発表しています。

それぞれ、楽しみにされている方々、ありがとうございます。また、「いいね」を押して下さる方々、大変、励みになります。感謝です。

一人、九州の田舎に庵を結んで暮らしており、日常生活の雑事をこなしながらの翻訳です。

興に乗ると速いですが、遅々として進まない事もあり、きまぐれな日記の延長と思って、ご寛恕下さい。

まだまだ、翻訳したい中国語の仏教書が、山ほどあります。

大きなものでは、『アビダンマッタサンガハ表解』というのがあります。

重さ一トン、もとい、1.1kgで、日本語に翻訳すると、10巻くらいにはなるのではないか、と思われます。

全編が、表でできており、エクセルがないと、完成できない・・・今からエクセルですか・・・(泣)。

老眼との競争、命との競争のようでもありますが、どこまでやれるか、仏教徒の法施として、最高の楽しみでもあります。

 

校閲する人が傍におりません故、誤字脱字があるかと思います。諸般の事情で、コメント欄を設けておりません。発見されましたら、是非<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。よろしくお願いいたします。

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-99

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

同様に、始めたばかりの時の、出入息は粗くて顕著であり、心は散乱しない。

というのも、粗くて顕著な出入息の相は、すでに認識され、すでに注目され、すでに察知されたが故に。

粗くて顕著な出入息が、柔軟で微弱なものになる時、生起するのは、柔軟で微弱な出入息であり、心は散乱しない。

というのも、微弱な出入息の相は、すでに認識され、すでに注目され、すでに察知されたが故に。

微弱な出入息が停止する時、心は散乱することがない。

というのも、それは、微弱な出入息の相を目標に取るが故に。

(5-100につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-18

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

来た当初、ここには、何もなかった。

僧と尼僧たちは、各自に割り当てられた洞窟に、湿った地面から離れる様に、簡単な、竹でできた高床式のプラットフォーム、平台を作った。

これなら、禅の修行ができるし、住むこともできる。

当時、厠を建てていなかったので、各自各々、崖の隅に行って用を足したが、いつも、いたずら好きな猿の群れが、木の上から、見ていた。

水は、ここで生きていくのに必要な、最も重要な資源であると共に、最大の難問でもあった。

最も近い水源は、山の谷底にある一本の渓流であったが、歩いて行くのに、30分かかった。

皆で相談した結果、新参のメーチが、水汲みを担当する事になった;

男性たちは、近所の農夫と一緒に、新しい寺院の基礎を作ることになった。

毎朝、朝食が済むと、メーチ・ケーウは竹でできた天秤棒の先に、二つの空桶をぶら下げてそれ担ぎ、他の女性たちと共に、水を汲みに出た。

彼女は、狭くて細長い坂道を通らなければならなかったし、あちらこちらに埋まっている木の根っこ、所構わず顔を出している石ころを避けて、歩かねばならなかった。

渓流にくると、その水を、桶一杯に満たした。

その後は、水で一杯になった二つの桶を、天秤棒にぶら下げて担ぎ上げ、険しい山道を戻った。

水が桶から零れ落ちないように、彼女は小心翼々で、洞窟に戻ってきたときは、息も絶え絶えであったが、水をあけて桶を空にすると、再び水を汲みに出かけた。

こうして、日に何度も何度も、山道を往復した。

(4-19につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-17

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

常住の僧侶と尼僧への、村民の干渉を避けるために、お寺は、早急に、何らかの方法で、この問題を解決する必要があった。

尼僧たちは、寺院を遠くに引っ越すことは、考慮に値する方策だと考えた。

というのも、そのようにすれば、寺院を、村民から引き離す事ができるから。

メーチ・タンは、日常的な清浄が、村民の俗事によって乱されるのを避けるために、将来的にも、僧侶と在家は、一定の距離を保つのがよい、と考えた。

農々寺の住職アチャン・カンパンは、アチャン・サオの古参の弟子で、持戒厳しく、禅の修行に優れ、村人に尊敬されている、頭陀僧であった。

アチャン・カンパンは、寺院の住職としても、また弟子を指導する年配者としても、サンガの利益を守る責任があった。

寺院内に住む在家男性にも被害が及んだため、メーチ・タンとメーチ・インは、アチャン・カンパンとこの事について、詳細に語り合った。

もちろん、最終的な決定権は、アチャン・カンパンにあった。

アチャン・カンパンは、彼女たちとよく相談した後、付近の山にもう一軒寺院を建てて、引っ越しをしよう、という事になった。

彼に付いて行きたい出家者は、彼に付いて行き、そうでない者は、農々寺に残ればよい、とした。

皋山は、磐山山脈が伸びた先の、いくつかの山丘の中にあり、卉晒村とは6マイル離れていた。

歩くか、または牛車に乗っていた時代、高低差のあるここの地形は、人々を拒絶したし、故に、辺鄙であった。

彼らが選んだ場所は、嶺の崖の下で、崖の高さは  10mほど、その崖は傾斜がひどく、登ることが出来ない。

眼下は、竹が濃密に茂り、紫檀が群生する斜面であった。

崖岩が大きくはみ出している部分は、枯れた苔に覆われ、その下は長方形に開かれた大きな洞窟で、そこに身を隠す事ができた。

上方にせり出した大岩があるため、洞窟の中は、太陽光が届かず、雨に濡れる心配もなかった。

(4-18につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-16

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仔細観察你的内心煩悩的起伏、

(あなた自身の、心内の煩悩の起伏を、子細に観察しなさい)

別那麽容易給它們騙去。

(そう簡単に、騙されてはいけない)

等你有能力掌控它們時、

(いつかあなたに、それらを掌握し、コントロールする能力が育った時)

就可以把它們的負面作用転成正面的心霊能量。

(それらのネガティブな作用は、心のポジティブなエネルギーに変えることができる)

水を汲む

メーチ・ケーウの果敢な行動は、卉晒村という、人間関係が濃密な小さな村落に、大きな衝動を与え、その渦中の両家の家族は、皆、己の立場を擁護するために、大声で弁明した。

農々寺の女性たちは全員、卉晒村の出身であり、今回の騒動の波を、かぶらない訳にはいかなかった。

彼女たちはメーチ・ケーウの決意を支持したーーほとんどの人が、彼女がそのようにした事を肯定したが、しかし、現実問題としては、不必要な注目を引き起こし、村の人間関係が、寺院に持ち込まれた。

寺院は村に近すぎた為に、事態は悪化の一途をたどった。(4-17につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-15

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、心配事を抱えながら、寺院に戻った。

彼女の頭の中は、親族との関係を断ち、愛を辞し、友情を捨てる事の是非について、混乱した。

何度も考え、考えしている内、思いはいつも、シッダッタ王子の、出家の因縁についての物語に、戻って行った。

王子は、愛する妻と子を置いて、王位と、世間の種々の煩わしさを振り捨て、求道の道を歩んだ。彼は、父親としての責務を果たさなかったが、しかし、彼がこのような選択をしたのは、神聖な目的の為であり、究極の真理の証悟の為であり、徹底的に、生死輪廻から抜け出す為であった。

円満に覚醒した後、仏陀の成就は、世間における一切の犠牲と行いを超越した。

彼は、己自身の修行を成功させる事によって、数えきれない程の衆生を教え導き、彼と同じ様に、煩悩から解脱できるように、したのである。

メーチ・ケーウはここまで考えて、自ら納得し、仏道に励む道心を激発し、決して後へは引かない心意気でもって、仏陀の足跡をたどり、梵行生活の最高峰を目指す事を、決意した。

(4-16につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-14

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

最終的な協議を終えると、メーチ・ケーウは、こっそり娘に会いに行った。

彼女は子細に、また注意深く、最近起きた事をちびっこケーウに話して聞かせた。

今回の事件は、彼女たちの運命を、変えた。

彼女はちびっこケーウが、よく理解し、納得してくれるだろうかと、祈るような気持であった。

母親の出家の決意を聞いて、ちびっこケーウは、彼女と一緒に寺院に住みたい、と言った。

メーチ・ケーウは、申し訳なさを感じながら、ちびっこケーウを眺め、出家の生活がどれほど清貧であるか、また、己の財産をすべて夫に渡してしまった今、自分自身は何一つ持たず、その為、彼女を養えない事を、心を痛めながら、説明した。

例えそうでなくても、子育てするには、寺院は、ふさわしい場所ではなかった。

メーチ・ケーウの態度は優しかったが、決意はすでに決まっており、娘に他の選択の余地はない事、今となっては、父親だけが、娘に生活の必需品を与えることができる事、故に、父親と生活する外ない事を説明した。

メーチ・ケーウは同時に、彼女が大きくなったら、父親の財産を相続できるし、もし、その時になっても母親と暮らしたいのならば、寺院に来てもよい、と約束した。

もし、本当に実現したなら、メーチ・ケーウは、心の扉を大きく開いて彼女を歓迎し、彼女と共にいて、自分が老いて死ぬまで、修行を指導してあげる、と言った。

ついにちびっこケーウは、イヤイヤながら母親の説得を受け入れ、父親の所に戻った。

(4-15につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>