Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E- 2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳

(P84)

 紀元前3世紀、Asoka王の時代、第三次結集が行われた。

この回の結集において、僧たちは、經蔵と律蔵に対して、みな意見を発表し、經蔵と律蔵に対して、一致してその改定に臨んだ。

この結集の後、司会者であったモッガリプッタ・ティッサ尊者は、経蔵を整理して、一冊の「論」《弁宗義論》(Katthavatthu)を作成し、信徒たちがさらに容易に仏陀の教義を理解できる様にした。

上座部は、論蔵(Abhidamma)を受け入れる事を通して、それを仏教経典の一部分としした;この時、三蔵経典は初めて、完全な定型を得たのである。

紀元80年、第四次結集が、スリランカにおいて成され、国王Vattagamini Abbaya によって主催された。

ここにおいて、仏教史上、初めて、三蔵経典が文字によって記載される様になったのである。

三蔵の宝典は、三個の部分に分かれている;律蔵、經蔵と論蔵である。

(E- 3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳

(P83~)

《三蔵経典》

三蔵経典は、仏陀が、45年間、弘法された所の教義を結集したものであり、パーリ語によって記録された仏教経典である。

その内には;律蔵、經蔵、論蔵が含まれる。

仏教の三蔵経典は、己自ら、仏陀の言説を直接耳で聞いた阿羅漢たちが結集したものである。

仏陀はすでに入滅したが、しかし、彼の生前の教えは、全く掛け値なしに、今日まで伝えられている。

仏陀は著書を残さなかったが、しかし、彼の教えは、彼の弟子たちの超凡なる記憶力によって、一代また一代と、口伝の形で伝わったのである。

仏陀入滅後、500名の上座部弟子が、即刻結集大会を招集し、仏陀の教義を何度も確認した;当時、アーナンダ尊者によって経蔵が、ウーバリ尊者によって律蔵が誦せられた。

一次結集の100年後、Kalasoka王朝の時、第二次結集が行われた。集会において、一部分の信徒が「小々戒」について修正すべき部分がある、との意見を提出した。

が、しかし、上座の弟子たちによって、それは反対された。彼らは、仏陀の決めた戒律は、完璧なものであり、変更する必要はない、との意見であった。

この決定は、最終的にサンガの分裂を招いた。

この回の結集は、律蔵についてのみ討論されたが、合意を得る事は出来なかった;

經蔵に関しては、変更はなかった。

(E-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(D-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏陀が入滅して数百年の後、彼の信徒たちは彼の教義を組織化して、宗教を形成することとなった。

彼らはその他の信仰、各種の奇跡、神秘、占い、まじない、霊符、壇場、お告げと各種の儀式を混ぜ込んだ。

これらは、原始の仏陀の教えの教義にはないものである。

これら外来の宗教的信仰が仏教の体系の中に取り入れられた時、非常に多くの人々は、原始仏教の中における最も重要な修持:自律、自制、道徳的な陶冶と心霊(=心)の発展を軽視した。

人々は、仏陀の元々の教義を、二度と修持することなく、大部分の労力を、邪悪な神霊に向かって庇護を求めたり、また、富と運気を追求する事に費やす様になった。

徐々に、彼らは仏教に対する興味を失い、ただひたすら、占い、黒法を追求し、または悪運を避ける方法や病魔を避ける方法ばかりを追求する様になった。

この種の状況の下、宗教の修行と信仰は、極限的な、一般的な、世俗的な追求に堕してしまったのである。

現代においても、多くの人々は、外部からの力を通して、己自身の各種の困惑を払うことができる、と信じている。

人々がこの種の信仰を追求する限り、彼らは堅固不抜な意志、智慧と学識、及びその他の人類に関連する所の、優良な本質を打ち立てることはできない。

言い換えれば、人々は、仏教の名を利用して、人類の智慧と学識を濫用して、外部の力に頼る様な信仰を追求しているのだと言える。

彼らは、この事によって、元々純潔であった仏陀の教義を汚したのである。

我々は多くの国家の内において、これら現代的な宗教を見つけ出す事ができる。

これは、人類が居住する所の社会的背景と文化的環境が異なるが故の現象である。

仏教を宗教である、と規定したとして、それはいきなり天から降ってきたものではない;それは非常に長い歴史を経て誕生し、その過程の中で発展してきたものである。

それが変化する過程の中で、人々は仏陀の原始の教義を投げ捨てて、非常に多くの、仏陀の教義とは異なる新しい宗教を創立した。

我々は仏教の名を掲げた盲目的な信仰だけを見て、宗教はよくないという結論を下さない様にしなければならない。

一つの宗教の本質を理解するためには、その宗教の創設者の原始的教義を研究し、考察しなければならない。

現在、我々は、後期仏教が発展せしめた、各種各様の宗派と思想に、出会っている。

我々は、正しい仏法、究極なる仏法に、回帰しなければならない。

人々が信仰し、実践しているのが、どの様な仏教であるにしろ、仏陀の原始の教義は、完全に、何一つ欠かすことなく、経典の内に保存されている。

(E-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(D-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《究極の真理》

(P 76)

究極の真理は、仏陀の教えの中に、見出す事ができる。

仏教は、二種類の真理が存在している事を認めるーー普遍的な真理と、究極的な真理である。

究極的な真理は、理論的または推測によるものではなく、唯一、禅定の訓練を経て後に、初めて獲得されるものである。

仏陀の教えは、この世間における、究極的な真理である。

仏教は、一種の天啓でもなければ、組織的な宗教でもない。

それは人類が初めて、純粋な科学(+的手法)によって探求された、究極的な存在に関する本質的な(+洞察の)実例である。

この種の、時空を超えた教義は、仏陀が、どの様な外部的な要素をも交えずに、発見したものである。

この教義は強くて力があり、どの様な挑戦を受けても、各種各様の(+時代の)変遷に適応する為に、その基本的な原則を、曲げることはない。

すべての宗教は、現代社会に適応する為に、変化を強いられるか、または、元々擁していた教義を放棄する。

しかし、現代の、困難が普遍的に存在するこの世界において、仏教は今まで通り、仏陀の原始の教義を保ち続けることが出来ている。

仏陀は、かつて道徳または、宗教と関係のない個人または、世間的な修行方式を紹介した事は、一度もない。

仏陀からみて、これらの修行方式は、全く価値がないものである。

我々は、仏陀の語る仏法と、一般の人々が語る仏法、及び仏陀の名を利用した修行方法とは何であるかを、(+それぞれ)検討してみる必要がある。

今日、仏教は形式的には、すでに最初の仏教とは全くの別物になってしまっている。

それは数世紀を経て伝播されていき、緬甸(ミャンマー)、タイ、中国、チベットスリランカと日本の仏教は、今や、完全に別々のものになっている。

しかし、この事によって混乱が起こっている訳ではない。

というのも、仏陀の教えは究極的真理であり、この究極的真理の体現は、異なる生活様式によっても、顕示され得るからである。

(D-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

翻訳『禅修指南』(3-38)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

もし、32身分を修行したいと思うならば、あなたは先に、安般念によって、第四禅に到達しておかねばならない。

禅定の光が明るく輝き、その光が四方に放射する時、この光の助けを借りて、あなたは身体の32の部分について、逐一識別をする。

身体の 32か所の部分について、地界が顕著なものは 20個、水界が顕著なものは、12個ある。

あなたは、地界の、顕著な四つのグループを、観じなければならない。

一つのグループには、五つの項目が含まれる。すなわち:

(一)頭髪、体毛、爪、歯、皮膚;

(二)筋肉、腱、骨、骨髄、腎臓;

(三)心臓、肝臓、膜、脾臓、肺臓;

(四)腸、腸間膜、胃中物、糞便、脳;

次に、水界の顕著な二つのグループを観ずる。

一つのグループ毎に、六つの項目が含まれる。すなわち:

(一)胆汁、痰、膿、血液、汗、脂肪;

(二)涙、皮脂、唾、鼻水、関節液、尿。

(3-39につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

翻訳『禅修指南』(3-37)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

次に、(座禅堂の中において)あなたの前に座っている禅修行者の 32身体部分を、修習の(+対象として)転換する。

迅速に、頭髪から尿へと照見する。

もし、この様に外観をすることができたならば、己自身の 32身体部分を内観し、次に再び、当該の人物の、32身体部分を外観する。

この様に、不断に照見の対象を交代する。

もし、そのことに成功したならば、座禅堂にいる、その他の禅修行者の、32身体部分を、逐一照見する。

しかしながら、この修習は想像によってではなく、必ずや、光によって、実際に照見しなければならない。

それはちょうど、懐中電灯でもって、物を照らすが如くである。

もし、この様にできたならば、内観と外観を、逐一実践する。

その後、光を座禅堂の外にいる人物と動物、その 人物の 32身体部分及び、動物の 32身体部分に向ける。

この様に外観の修習を実践して、光を(+投射して)、遠くまで、照らせれば照らせるほどよい。

もし、この修習に成功したならば、あなたは遍禅の修習に転換する事ができる。

多くの禅修行者の体験への、研究を通して知ることが出来るのは、32身分から遍禅の修習に転換する方が(+他の方法から転換するより)比較的容易である、という事である。

(3-38につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

 

 

翻訳『禅修指南』(3-36)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

その後、逐一、グループ毎に観察する。

もし、グループ毎の、身体の 32の部分の照見に成功したならば、次には、同時に 32の身体部分すべてを、遍観できる様に、修習する。

すなわち、頭髪から尿まで、次には、尿から頭髪まで、それを何度も重複して、修習する。

あなたが、この様に不断に持続的に、正順と逆順で、32の身体部分を観察できる様になった時、例えば、家の中から庭の垣根の、32本の柱を数えながら見るとして、柱の一本一本を見ていくのは非常に時間がかかる。その為、それらを数えない様にして、左から右、右から左とみていくだけにすれば、32本の柱、全部を見ることができる。

32の身体部分も(+それと同じ様に)迅速に観察すれば、それらを観察する事に(+やがては)非常に熟練するであろう。

(3-37につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay