Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-16)(私家版)

以下のたとえ話は慙と愧の本質を同時に説明する事ができる。

一本の鉄の棒の端には、糞便が塗りつけてある。

そのもう一つの端は、火の中で燃やして、真っ赤になっている。

ある人は、糞便の部分を掴みたくない。彼は糞便が嫌いであるし、己自身が汚染されるのは嫌であるが故に。

これは慙である。

しかし、彼はまた、真っ赤に燃えた、もう一つの端を掴みたくもない。火傷するのを恐れるが故に。

これは愧であり、悪行によって齎される果報を恐れるものである。

(7-17につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

 

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-15)(私家版)

4、愧(ottappa)

特徴は、悪行によって齎される果報に対して、恐れを感じる事。たとえば、自分で自分を責める、他人による譴責、社会的譴責、法律上の罰則、残された後に(後々に影響する所の)業:今生の業、来世の業、無尽業。

これらの、悪行が齎す果報を、恐れる事。

故に、愧の作用は、悪をなす事を恐れる事。二度と悪行をなさない事。現起(現象)は諸々の悪を避ける事。

近因は、他人を尊重する事。

(7-16につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-14)(私家版)

または、己自身の教育(のレベル)に思いを致す:

「私は高等教育を受けた人間である。他人を騙してはいけない」

または、己自身の年齢を考えてみる。

年齢を経た者は、幼稚な行動をとってはならない。

己自身の崇高な地位を思い、大通りや人の集まる場所で、大酒を飲んで、酩酊してはならない。

己自身を大切にするのであるならば、決して悪をなしてはならない。

(7-15につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

般若の独り言~笑顔

私は長年に亘って、タイと緬甸(ミャンマー)でテーラワーダ根本仏教)を学び、森林僧院で修行もして、現在の身分は、緬甸のパオ森林僧院ヤンゴン分院で出家した尼僧(サヤレー)ということになります。

私の修行の方式(業処)は、安般念と四界分別観です(禅病で安般念を実践するのが困難を感じる時は、安般念を休んで、四界分別観に変更します)。

最近、人と話をする時、話を聞く前から、(意識的にも無意識的にも)先に笑顔になる事が多いです。

私は子供の頃から、正義感が強く、他人の間違った意見を聞くと、すぐに反論したくなる性質(タチ)なのですが・・・

長年の修行の成果かどうか・・・

最近、他人の意見は他人の意見、自分が頑張って反論しても、相手にそれほど影響もなく、心に刺ってもいない、と思う様になりました。

それには、自分の正義感への反省も含みます。

自分の正義感は生まれ持ったものの上に、幼少の頃、祖母、父母から聞いた色々な物語や倫理観、学生運動吹き荒れる頃の大学で学んだ政治的意見(偏向)。

30代で中国語の通訳になって、仕事で中国、香港、台湾に行くことが多くなり、そこで仕入れた東洋的価値観の数々。

また、人は輪廻しているとしたなら、過去世の体験の積み重ねによる心の偏向(業)等々・・・によって構成されています。

間違っていると思われる他人の意見と、正義に満ち満ちた私の意見・・・

しかし、それは、両者共に同じくらい、業(心の癖)によって、偏向しているのではないか・・・

故に、私は、現行、他人の意見を聞くとき(聞かされる時)ただ笑顔で聞き流す・・・そんなテクニックを駆使する様になりました。

《こういう態度、ちょっとずるいかな》と思うこともありますが、この態度は、ゴータマ仏陀の教えた

【二矢を受けず】とも通底していると思います。

自分とは異なる意見に(強く)反論・反駁するのは、二矢を受けて、己の心が動揺し、怒っているからです。

動揺しない、怒らない、二矢を受けない・・・これを至上目的とするならば、まずは笑顔で・・・なかなか有効ですよ。

(仏教の三蔵【経・アビダンマ・戒律】に関して、明らかに間違っている場合、遠慮なく反論させて頂きます。ゴータマ仏陀も、当時の婆羅門教、64 六師外道には、容赦なく反論しています。

ただ、人を批判する時、間違った正義感から出発しない様に、気を付けたいと思います。

追記:

人を言い負かすときの快感は、麻薬中毒患者と同じ、一種の病いです。

言い負かす人(加害者)にも、言い負かされる人(被害者)にもならない事。

安般念の修行を通して、他人の意見も己の意見も、無常であり、無我である事に腹落ち出来れば、尚の事、よいかと思います。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>

般若の独り言~クラシック・イエロー

クラシック・イエロー

薔薇は、春の花?

般若精舎は高原にあって、かつ、日照が悪いせいもあり、庭の薔薇は、他より少し遅く、5月下旬、6月上旬になって、ようやく、咲き始めました。

写真は、4月に苗を一株、飯田高原でご購入の、薔薇の名前《クラシック・イェロー》。

雑草に埋もれない様にと、鉢植えにしてみました。

まずまずの咲き具合です。

えびす丸(トイプ。三才。保護犬)、昨日、散髪に行ってきました。

丸坊主にすると、二度と毛が生えなくなる場合があるので要注意」と、獣医師に言われていたので、ゆったりカットにしましたが、これから暑くなるので、もう少し短くてもよかったかも。

(散髪してくれた方曰く「みなさん、バリカンで、5mmカット、8mmカットされますよ」

はい、次回はそうします(汗)。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay般若精舎>

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-13)(私家版)

身口意の悪行に対して、嫌悪を感じる事は、慙の特徴である。

慙の作用は、悪をなさない事。嫌悪するが故に、悪をなさない。現起(現象)は、諸々の悪を避ける事。

ちょうど、雄鶏の尾が、火の前ではちぢこまってしまう様に、(慙の心は)悪の前ではちぢこまってしまう。

近因は、己自身への尊重。

たとえば、己自身の出生を考慮する:

「私の生まれは高貴である。故に、町で悪態をつく女性の様に、あの様には、人を侮ったりしない。」と。

己自身を大切にするが故に、口から悪語を吐かない。

(7-14につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-12)(私家版)

3、慙(hiri)

特徴は、悪行に対して、嫌悪を感じる事。悪行は、身、口、意の三つの方面を含む。

身の悪業には、三種類ある。殺、盗、淫である。

口の悪業は、四種類ある。悪口、両舌、綺語(おべんちゃら)、妄語である。

意の悪業は、三種類ある。貪、瞋、邪見である。

(7-13につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>