Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~笑顔

私は長年に亘って、タイと緬甸(ミャンマー)でテーラワーダ根本仏教)を学び、森林僧院で修行もして、現在の身分は、緬甸のパオ森林僧院ヤンゴン分院で出家した尼僧(サヤレー)ということになります。

私の修行の方式(業処)は、安般念と四界分別観です(禅病で安般念を実践するのが困難を感じる時は、安般念を休んで、四界分別観に変更します)。

最近、人と話をする時、話を聞く前から、(意識的にも無意識的にも)先に笑顔になる事が多いです。

私は子供の頃から、正義感が強く、他人の間違った意見を聞くと、すぐに反論したくなる性質(タチ)なのですが・・・

長年の修行の成果かどうか・・・

最近、他人の意見は他人の意見、自分が頑張って反論しても、相手にそれほど影響もなく、心に刺ってもいない、と思う様になりました。

それには、自分の正義感への反省も含みます。

自分の正義感は生まれ持ったものの上に、幼少の頃、祖母、父母から聞いた色々な物語や倫理観、学生運動吹き荒れる頃の大学で学んだ政治的意見(偏向)。

30代で中国語の通訳になって、仕事で中国、香港、台湾に行くことが多くなり、そこで仕入れた東洋的価値観の数々。

また、人は輪廻しているとしたなら、過去世の体験の積み重ねによる心の偏向(業)等々・・・によって構成されています。

間違っていると思われる他人の意見と、正義に満ち満ちた私の意見・・・

しかし、それは、両者共に同じくらい、業(心の癖)によって、偏向しているのではないか・・・

故に、私は、現行、他人の意見を聞くとき(聞かされる時)ただ笑顔で聞き流す・・・そんなテクニックを駆使する様になりました。

《こういう態度、ちょっとずるいかな》と思うこともありますが、この態度は、ゴータマ仏陀の教えた

【二矢を受けず】とも通底していると思います。

自分とは異なる意見に(強く)反論・反駁するのは、二矢を受けて、己の心が動揺し、怒っているからです。

動揺しない、怒らない、二矢を受けない・・・これを至上目的とするならば、まずは笑顔で・・・なかなか有効ですよ。

(仏教の三蔵【経・アビダンマ・戒律】に関して、明らかに間違っている場合、遠慮なく反論させて頂きます。ゴータマ仏陀も、当時の婆羅門教、64 六師外道には、容赦なく反論しています。

ただ、人を批判する時、間違った正義感から出発しない様に、気を付けたいと思います。

追記:

人を言い負かすときの快感は、麻薬中毒患者と同じ、一種の病いです。

言い負かす人(加害者)にも、言い負かされる人(被害者)にもならない事。

安般念の修行を通して、他人の意見も己の意見も、無常であり、無我である事に腹落ち出来れば、尚の事、よいかと思います。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>