以下のたとえ話は慙と愧の本質を同時に説明する事ができる。
一本の鉄の棒の端には、糞便が塗りつけてある。
そのもう一つの端は、火の中で燃やして、真っ赤になっている。
ある人は、糞便の部分を掴みたくない。彼は糞便が嫌いであるし、己自身が汚染されるのは嫌であるが故に。
これは慙である。
しかし、彼はまた、真っ赤に燃えた、もう一つの端を掴みたくもない。火傷するのを恐れるが故に。
これは愧であり、悪行によって齎される果報を恐れるものである。
(7-17につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>