2014-09-27 是誰庵仏教談義>口中有斧 仏教 ここ二週間近く、次男が我が家に泊まっていて、荒れていた庭に木道を敷いてくれました。 庭は見違えるほどきれいになりました。 水道のメーターの検針に Aさん が我が家に来て目を丸くし、近所に住む B氏 に話しました。 B氏 は、私のいない時に来て庭を覗いてみたらしく、庭が綺麗になっている事を知っていました。 昨日、用事があって B氏 宅へ行って、 私「庭、きれいになったでしょう?息子が木道敷いてくれたからねぇ」 B氏「な~~に、あんたがやったんじゃないもん。人にやらせたんじゃ、意味ないじゃん」 私「・・・」。 本当にそうでしょうか? 還暦過ぎて田舎に越してきた老女、庭の手入れが行き届かなくて荒れ放題になっていたら、息子が来て木道を敷いて、綺麗にしてくれた。 私なら「親孝行の息子さんをもって、あんた幸せじゃなぁ」と言いますね、ちょっと出来過ぎたお世辞になるかもしれませんけれど。 ブッダは「口中有斧」と言いました。 口の行為に気を付けなさい、口の業に気を付けなさい、と。 私がテラワーダ(南伝仏教)に接して、最初に習ったのは慈悲の瞑想です。 自分の大切な人がもっと幸せであるようにと祈り、嫌いな人も、今より幸せになって欲しい、そう祈ります。 嫌いな人の幸せを祈るなんて、最初は心に強い抵抗があってできませんでしたが、私の嫌いな人、Cさん がタマ~~に見せた笑顔、その笑顔を思い浮かべて、彼女だって本当は微笑みに満ちた日々を過ごしたいだろうに、それが出来ないって可哀想に(彼女はいつも何かに不満で、きつい言葉で人を叱りつけるのが習い性になっていたから)」と思えるようになって、徐々に、彼女の幸せを祈ることができるようになりました。 人は、他人の幸せを願ったり、他人の幸せを我が事として共感するのに抵抗を感じる<心の癖>(=エゴ・防衛的自我)を持っていて、かつそのことに無自覚でいる・・・、もしブッダのダンマを知って実践すれば、この心の癖は改善されるのに・・・と、最近、そのように感じる場面に出会う事が多くなりました。 日本では、寺院巡りの観光は流行っても、ブッダのダンマを実践する人は少ないようですが、ブッダの教えた<慈悲の瞑想>が浸透するように願ってやみません。 <口中有斧>の<業>から離れる為にも、心の癖、負のスパイラルから解放されるためにも、是非とも、是非とも。