南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

是誰庵仏教談義>口中有斧

ここ二週間近く、次男が我が家に泊まっていて、荒れていた庭に木道を敷いてくれました。

庭は見違えるほどきれいになりました。

水道のメーターの検針に Aさん が我が家に来て目を丸くし、近所に住む B氏 に話しました。

B氏 は、私のいない時に来て庭を覗いてみたらしく、庭が綺麗になっている事を知っていました。

昨日、用事があって B氏 宅へ行って、

私「庭、きれいになったでしょう?息子が木道敷いてくれたからねぇ」

B氏「な~~に、あんたがやったんじゃないもん。人にやらせたんじゃ、意味ないじゃん」

私「・・・」。

本当にそうでしょうか?

還暦過ぎて田舎に越してきた老女、庭の手入れが行き届かなくて荒れ放題になっていたら、息子が来て木道を敷いて、綺麗にしてくれた。

私なら「親孝行の息子さんをもって、あんた幸せじゃなぁ」と言いますね、ちょっと出来過ぎたお世辞になるかもしれませんけれど。

ブッダは「口中有斧」と言いました。

口の行為に気を付けなさい、口の業に気を付けなさい、と。

私がテラワーダ(南伝仏教)に接して、最初に習ったのは慈悲の瞑想です。

自分の大切な人がもっと幸せであるようにと祈り、嫌いな人も、今より幸せになって欲しい、そう祈ります。

嫌いな人の幸せを祈るなんて、最初は心に強い抵抗があってできませんでしたが、私の嫌いな人、Cさん がタマ~~に見せた笑顔、その笑顔を思い浮かべて、彼女だって本当は微笑みに満ちた日々を過ごしたいだろうに、それが出来ないって可哀想に(彼女はいつも何かに不満で、きつい言葉で人を叱りつけるのが習い性になっていたから)」と思えるようになって、徐々に、彼女の幸せを祈ることができるようになりました。

人は、他人の幸せを願ったり、他人の幸せを我が事として共感するのに抵抗を感じる<心の癖>(=エゴ・防衛的自我)を持っていて、かつそのことに無自覚でいる・・・、もしブッダのダンマを知って実践すれば、この心の癖は改善されるのに・・・と、最近、そのように感じる場面に出会う事が多くなりました。

日本では、寺院巡りの観光は流行っても、ブッダのダンマを実践する人は少ないようですが、ブッダの教えた<慈悲の瞑想>が浸透するように願ってやみません。

<口中有斧>の<業>から離れる為にも、心の癖、負のスパイラルから解放されるためにも、是非とも、是非とも。