Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~ごまかさない仏教ーその1

佐々木閑先生と宮崎哲弥氏の対談『ごまかさない仏教』を読みました。

なかなか読みごたえがある本だ、と思います。

対談の内容に賛否があるとしても、仏教に関して、自分には何が分かって、何が分かっていないか、<ごまかさない>という態度はとても大事だと思いました。

私も、最近少しずつですが、乞われて、人にアビダンマを教える事がありますが、分かっている事より、分からない事の方が、多いです。

<分からない事は、分からない>と言える事は、非常に大事です。

佐々木先生はまた、テラワーダ歴史原理主義を批判し、心配されていました。

いまだ確定的に論考されていないのに、日本に、テラワーダ正統説・無謬説を称える人がいる、との事です。

私もテラワーダ大好き人間ですが、正統・無謬説には、無理があると思います(私がテラワーダが好きなのは、私の知っている限りにおいて、テラワーダが一番納得し、また実践しやすいから。日本を見渡すと、現状、他に選択肢はないからです。大昔のインドに生きていたら、案外、説一切有部なんかに属していたりして~笑。まぁ、どこに属そうが、37菩提分を実践する、というのが良いかと・・・)。

ジャイナ教教祖のマハーヴィーラの遺言は「我が宗教を最高と言うな」「人が考え、構築した宗教に完璧な無い」でした。

我々は、どのような宗教を信じ、実践しても自由な国、時代に生きていますが、自分が信じたものが無謬であるなどという事だけは、信じてはいけません(笑)。

かつては、社会主義無謬説がどれほどの人々を不幸にしたかと考える時、〇〇無謬説は一種の病気、中二病だと、私は思っています。

(現在、我々が読むことのできる三蔵、仏典に関して、最も古いとされているものであっても、その中には、一言の加筆もなくすべてが仏陀の金口であるという論証は、いまだ確立していない。

そういう状況の中で、原理主義を主張するのは無謀である事。

また、仏陀の教えを本当に納得するのは、預流果以上の位に達した聖者たちであって、凡夫は、「仏陀のダンマは、すばらしい教えだ」とは思えても、100%納得する事は出来ない。例えば、仏陀の神通双神変は、凡夫が理解できるものではないのであって、凡夫がその事~仏陀のダンマは凡夫の理解を超える~に無自覚なまま原理主義を採るのは、極めて危険であると、私は考えます)    

(赤字部分3月7日加筆)   

  <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>