Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~18>幸せを金で買うという悪癖

先日、高校時代の先輩から電話がありました。

仏教系の新興宗教に入っていて、日ごろ、色々なご奉仕活動をしているけれど、今一つ満足感がない、という事でした。

キリスト教も含め、ボランティアや奉仕活動を勧める宗教団体は多いです。

続いて、この先輩は、「最近、心の持ちようを教える自己啓発セミナーに行く人が多く、それは一回5000円もする」と言うのです。

私は「ああ、またか」と思いました。

我々は以前(高度成長期)、モノを買う事で、幸せになろとしました。それが失敗に終わった今、次には、<他人の

思想>を<買って>幸せになろうとしています。

動機は同じ、お金で幸せを買う・・・。

私は長い間、出会う人々、友人達に座禅・瞑想を勧めてきました。が、誰一人実践してくれた人はいません。

人は、どうしてこれほど座禅・瞑想が嫌いなのでしょうか?

自己に出会うのが怖い?

エゴが、プライドが、落ちるのが怖い?

朝夕、5分でも10分でも、座布団に座って目を瞑り(パオ・メソッドは目を閉じ、禅宗の場合は半眼)自分の呼吸を見る。

呼吸は良いも悪いもない純粋中立な現象ですから、呼吸を友とすると、心が落ち着いてきます。やがては仏陀の教えた無常・苦・無我も分かってきます。

ニューエイジの高額のセミナーに参加しないでも、自分で瞑想するなら 0円です。

以前、物を買ったら幸せかと勘違いした我々は、今は自己啓発セミナーに参加費を払えば幸せが買える、と思っている。

幸せは、お金を払って手に入れるものではなく、自己の心を知る事によって得られます。

富者も貧者も自分の呼吸を友にすれば幸せになれる・・・、これほど合理的な修行方法はないのですけれど・・・まぁ、誰もしませんね(苦笑)。。

追補:ボランティアで幸せ(感)を得ようというのは間違っています。ボランティアはそれを行う人と、その善意を受け取る<不幸な人>の存在が不可欠。という事は、自分より不幸な人の存在が、自分を高揚させ、幸せ(感)をもたらす根拠になっていている為、不幸な人の存在を、渇望するようになるのです。

幸せは、他人の中に投影するのでなくて、自分の心を知ることによって得られるものです。ボランティア、善行為は、やって当然であって、幸せを得る手段になってはいけないものなのです。